ルクレティウスの『事物の本性について―宇宙論』に照らして詩を考えてきました。今回はそのまとめです。 ルクレティウスの『事物の本性について―宇宙論』のような、古代からの西洋の文学伝統に屹立する作品と見比べると、日本の詩歌はとても狭い世界のなかで、思想のかけらもない感情を歌っただけだ、と否定的に捉える見方もあります。たしかに抒情か叙景の短い詩である和歌を本流とする日本詩歌の文学伝統と、ルクレティウスの作品は、おなじ詩と呼ぶのがためらわれるほど、一見すると異質の別世界です。 私はこのような見方に対してまず、詩に作品の長さ、短さによる優劣はない、と考えます。膨大な行数の長い詩が優れているのでもなく、日本の詩が短いから劣っているわけでもありません。なぜなら詩句に込め、歌い、伝えようとするものと、言葉のかたち、作品の姿は、切り離せず一体だからです。 日本の短いかたちの詩歌は、もともと思想、概念を盛ろう