タグ

中世に関するainoutanoehonのブックマーク (3)

  • 『梁塵秘抄』(三)法文歌、中世の讃美歌

    中世に咲いた歌謡、『梁塵秘抄』の今様のうち、「四句神歌(しくのかみうた)・雑(ぞう)」に集められた民衆の心の歌に前回は耳を澄ませました。 今回は、心のより深い低音部から紡ぎだされた仏教信仰の歌、「法文歌(ほうもんのうた)」を聴きとります。学んだ三つの出典から心に響いた言葉 を紡いで記します。 私は大阪育ちですので幼少期から奈良や京都の寺院を訪ねる機会は多くて親しみも感じてきました。 でも今回法文歌にふれて気づいたことは、日の仏教を知らない自分でした。 ばらばらに名だけしか知らない、観音さま、お地蔵さん、阿弥陀如来、普賢菩薩、弥勒菩薩、薬師如来。寺院で親しんではきたけれど、込められた信仰は知らなかったんだと、改めて思います。これからもっと知りたいと思います。 私はこれまで古代インドのウパニシャッドや原始仏典、ジャイナ教など、信仰の源にあるものが真理かどうかということばかりに拘り目を奪われて

    『梁塵秘抄』(三)法文歌、中世の讃美歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ.古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。『梁塵秘抄』(三)法文歌、中世の讃美歌。
  • 『梁塵秘抄』(二)中世民衆の心の歌

    中世の歌謡、今様の花園『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を感じとろうとしています。 この歌謡集はおおきく、中世の民衆の心の咲き匂う園である「四句神歌(しくのかみうた)の雑(ぞう)」と、中世信仰の園である 「法文歌(ほうもんのうた)」にわかれています。どちらも心の豊かな深みからの歌声の魅力を、異なった表情で湛えています。まず今回は、「四句神歌(しくのかみうた)の雑(ぞう)」を聴きとります。 「四句神歌・雑」の歌謡のいちばんの魅力は、出典に記されているように、「種々の生業を営む民衆の姿が活写されている」こと、彼らが心から共感した思いが歌われていることです。時を越えて、ふしは失われたけれども、私にも肉声が聞こえてきて、その情感に心が揺り動かされます。 男女の愛情の歌も、和歌では言葉にしないところまで、声に出し歌ってしまう、飾らない表現が私は好きです。 俗にどっぷり溺れすぎると、表現はいやらしさに

    『梁塵秘抄』(二)中世民衆の心の歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。『梁塵秘抄』(二)中世民衆の心の歌。
  • 『梁塵秘抄』(一)今様、中世の歌謡

    古代から今この時まで絶え間なく流れている詩歌の豊かさをみつめるとき、ふしにのせ声にして謡う歌謡と、文字に書き詠む和歌は、交わったり時に離れたりしながらも、いつも寄り添うさざなみでした。古代歌謡、神楽歌(かぐらうた)、催馬楽(さいばら)につづき生まれ出た歌謡をみつめていきます。今回から数回、平安末期から鎌倉初期の激動の時代に後白河院が執念で書き留め伝えようとした、今様(いまよう)と呼ばれる歌謡をあつめた『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』をとりあげます。 後白河院は多様な姿の今様をあつめた後、『梁塵秘抄口伝集』として、自らの修行暦、傀儡(くぐつ)などの伝承者との交流、今様を通した霊験体験、今様の謡われた様子を記録しました。その巻第十が今に伝わります。その結びの言葉は、彼の痛切な思いが込められていて、心が打たれます。 「大方詩を作り、和歌をよみ、手をかくともがらは、かきとめつれば、末のよ迄もくつ

    『梁塵秘抄』(一)今様、中世の歌謡
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。『梁塵秘抄』(一)今様、中世の歌謡。
  • 1