タグ

創作に関するainoutanoehonのブックマーク (2)

  • 詩人・田川紀久雄への共感。愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想

    詩人の田川紀久雄さんは、漉林書房を運営して自らの詩集を刊行され続けるとともに、詩誌『操車場』(詩と評論)を編集、発行され、現在「末期癌日記」を連載されています。 発行日年12月1日の第54号から、私が心から共感する言葉を少しだけ引用させて頂きます。 二〇一一年十月二十九日(土)晴 (略)名詩といわれても「こんなの解らない」と答える人が多い。詩集「百歳」を書いた詩人のは書店でも売れている。でもこのような詩は詩人たちは少しも相手にしない。解りやすい詩は詩ではないと思っているのだろう。詩人達は冷たい眼で見る癖がある。今私は密教のようにすべてを包む暖かい世界を描きたいと願っている。そして出来るだけ解りやすい言葉を選んで書いている。(略) 二〇一一年十月三十一日(月)晴 (略)詩人にとって大切なのは良い作品を書くこと以外にない。人間同士の上下関係は必要がない。先輩を敬うことと、詩そのものとは別な

    詩人・田川紀久雄への共感。愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想
  • 創作の動機。萩原朔太郎

    萩原朔太郎の『恋愛名歌集』などの歌論と俳論が、『萩原朔太郎全集』(筑摩書房)の第七巻にまとめられています 。彼は詩論『詩の原理』で、言葉の芸術である詩歌を愛する強い思いと独自の思索を書き記しましたが、短歌と俳句それぞれに焦点を絞った考察と提言も残しました。 短歌について歌壇の人々への問いかけと対話には、短歌に留まらず、歌、詩、詩歌を思い創作するうえで私が忘れずにいたいと思う詩歌の根が語られています。 朔太郎が「短歌雑誌」に投じた「現歌壇への公開状」で、短歌について述べていることは、詩歌全般に対して今投げかけられている言葉のように、私は感じます。 今ある短歌、俳句については詳しく知らないので憶測は述べられませんが、一人の詩人として、歌壇を「詩壇」、短歌を「現代詩」と置き換えて読んでしまうときにも、彼のこの主張は当てはまってしまうと感じます。20世紀なかば以降の著名な「現代詩」に限定しての、

    創作の動機。萩原朔太郎
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。創作の動機。萩原朔太郎。
  • 1