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山之口貘と詩人に関するainoutanoehonのブックマーク (2)

  • 愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想 地球の上での感受性。山之口貘の詩(三)

    沖縄出身の詩人、山之口貘(やまのくち ばく)の作品を通して詩を見つめ考えています。好きな詩の引用に続けて、☆印の後に、私の詩想を記します。最終の今回テーマは感受性、時間感覚、宇宙感覚です。 夜 僕は間借りをしたのである 僕の所へ遊びに来たまへと皆に言ふたのである そのうちにゆくよと皆は言ふのであつたのである 何日経つてもそのうちにはならないのであらうか 僕も、僕を訪ねて来る者があるもんかとおもつてしまふのである 僕は人間ではないのであらうか 貧乏が人間を形態して僕になつてゐるのであらうか 引力より外にはかんじることも出来ないで、僕は静物の親類のやうに生きてしまふのであらうか 大概の人生達が休憩してゐる夜中である 僕は僕をかんじながら 下から照らしてゐる太陽をながめてゐるのである とほい昼の街の風景が逆さに輝やいてゐるのをながめてゐるのである まるい地球をながめてゐるのである ☆私の詩想 最

    愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想 地球の上での感受性。山之口貘の詩(三)
  • 心、ヒューマニズム。山之口貘の詩(一)。愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想

    沖縄出身の詩人、山之口貘(やまのくち ばく)の詩が私は好きです。生年は1903年(明治36年) で、1963年私が生まれた1ヶ月ほど後になくなったんだと知りました。 今回から3回、私が若い頃愛読した彼の詩を通して詩を見つめなおし考えます。各回とも好きな詩の引用に続けて、☆印の後に、私の詩想を記します。今回のテーマは人の心、ヒューマニズムです。 来意 もしもの話この僕が お宅の娘を見たさに来たのであつたなら をばさんあなたはなんとおつしやるか もしもそれゆえはるばると 旗ヶ岡には来るのであると申すなら なほさらなんとおつしやるか もしもの話この話 もしもの話がもしものこと 真実だつたらをばさんあなたはなんとおつしやるか きれいに咲いたあの娘 きれいに咲いたその娘 真実みないでこの僕がこんなにゆつくりお茶をのむもんか。 ☆ 私の詩想 ときおり引用されているのを見かける、愛されている詩です。言葉

    心、ヒューマニズム。山之口貘の詩(一)。愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想
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