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式子内親王に関するainoutanoehonのブックマーク (3)

  • 赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(七)生きられる時間を「今」の瞬間に

    敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。 今回も前回に続き、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ◎以下、出典からの引用のまとまりごとに続けて、☆記号の後に私が呼び起こされた詩想を記していきます。 和歌の後にある作品番号は『式子内親王全歌集』(錦仁編、1982年、桜楓社)のものです。 (和歌の現代仮名遣いでの読みを私が<>で加え、読みやすくするため改行を増やしています)。 ◎出典からの引用1 六 年ごとに秋は廻ってくるが、その秋は昔の秋ではない。自分が変ったのだろうか。このような反問は、秋の来るたびにくりかえされたであろう。つぎの三首は、『三百六十番歌合』のもので、作

    赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(七)生きられる時間を「今」の瞬間に
  • 式子内親王、うた魂の響き

    式子内親王(しょくしないしんのう、「しきし」「のりこ」とも。)は、新古今集を代表する女性歌人です。 彼女の歌の世界にはじめて入り込もうとした二十代の頃、私には彼女の歌の良さがまだ分かりませんでした。彼女が亡くなったのと同じくらいの年齢となった今、彼女の歌はとても心に響き、心の重なりを深く感じとれるようになりました、嬉しいことです。 式子内親王の生涯に華やかさはなく、不遇だといえます。後白河天皇の皇女として生まれましたが十代は賀茂斎院として賀茂神社に奉仕し、その後も生涯独身でした。親しい者の相次ぐ死を見送ったあと出家しています。(法然からの手紙が残っています。) 和歌の師は千載集選者の藤原俊成で、歌論書『古来風躰抄』は彼女に捧げられたもの、俊成の息子の藤原定家との交流もありましたが、当時の歌の世界で彼女は決して華々しく目だった存在ではなかったようです。 私は今、新古今集の時代に、天性の詩人と

    式子内親王、うた魂の響き
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 式子内親王、うた魂の響き。
  • 式子内親王、言魂の韻律美

    式子内親王の美しく愛(かな)しい、私が好きな歌をここに咲かせます。彼女の思いのどうしようもない切実さは言魂となって心を打ちます。余計な説明はいらない歌なので、耳を澄ませ惹かれるままに、その韻律の美しさを☆印の後に記しました。(カッコ内数字は出典の通し番号と勅撰入首歌番号です)。 式子内親王の歌は、心の感性で選びつつ紡がれた言葉の響きに、意味と表象と音象が渾然と自然に融け、美しい調べを今も奏でています、時を超えて。 はかなくてすぎにしかたをかぞふれば花に物思ふ春ぞへにける (12、新古今集春下101) ☆Haの頭韻、母音aに歌が浮かび流れるよう、下句でu音の脚韻で心はうちを向き閉じる。 つかのまのやみのうつつもまだしらず夢よりゆめにまよひぬる哉(78、続拾遺集恋三914) ☆上句はtsu、下句はyuを主に、母音u音の情感に漂う。 恋ひ恋ひてそなたになびく煙あらばいひしちぎりのはてとながめよ(

    式子内親王、言魂の韻律美
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩のエッセイ。好きな古典の詩歌。式子内親王、言魂の韻律美。
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