タグ

歌と詩に関するainoutanoehonのブックマーク (20)

  • 詩誌『たぶの木』14号をHP公開しました。

    手作りの詩誌『たぶの木』14号(漉林書房、2014年11月15日発行)を、私のホームページ『愛のうたの絵ほん』に公開しました。 詩誌 『たぶの木』 14号   (詩誌名をクリックしてお読み頂けます。) 参加詩人は、田川紀久雄、坂井のぶこ、山下佳恵、高畑耕治です。 お読み頂けますと嬉しいです。

    詩誌『たぶの木』14号をHP公開しました。
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2014/10/23
    詩誌『たぶの木』14号をHP公開しました。
  • 詩想(二三) 一市民として10

    私の折々の想いをツイッターにしたためた言葉から、似通う色合いのものを、詩想としてまとめています。 今回は「一市民として10」私の率直な想いです。 ☆ 女性おとしめるのは、産んでくれた母おとしめること。母の子の自分、おとしめること。それすらわからないのは、母ひどく悲しませること。子ども失格なのだから、人間として、だめ。 ☆ スウィフトの『ガリバー旅行記』のヤフーの国、映画『猿の惑星』は人間社会を逆照射して素晴らしいと思います。今、人間がこの島国にきたら、ここは裸の王様おごる国、ヤフーの国、猿の惑星、人間らしさを押し潰すばかりのレスラーの雄叫びの国ときっと感じる。人間性酷く歪める偽政者の群れのさばる。 ☆ 拳かためて、腕ふりあげる、自分の写真を、平気でまき散らす者に、人間としての知性はあるのかと、わたしは疑う。目指すは、レスラーか、ヒットラーか。 ☆ 補足。さきほどの、理解できない者は、この美

    詩想(二三) 一市民として10
  • 赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(三)全身的な感性を視覚に

    敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。 今回も前回に続き、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ◎以下、出典からの引用のまとまりごとに続けて、☆記号の後に私が呼び起こされた詩想を記していきます。和歌の後にある作品番号は『式子内親王全歌集』(錦仁編、1982年、桜楓社)のものです。 (和歌の現代仮名遣いでの読みを私が<>で加え、読みやすくするため改行を増やしています)。 ◎出典からの引用1 二 見るままに冬は来にけり鴨のゐる入江の汀うすごほりつつ  259 <みるままに ふゆはきにけり かものいる いりえのなぎさ うすごおりつつ> これも「いま桜咲きぬと見えて」と同じ

    赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(三)全身的な感性を視覚に
  • 赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(二)時間と空間が織りなす模様

    敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。 論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ◎以下、出典からの引用のまとまりごとに続けて、☆記号の後に私が呼び起こされた詩想を記していきます。 和歌の後にある作品番号は『式子内親王全歌集』(錦仁編、1982年、桜楓社)のものです。 (和歌の現代仮名遣いでの読みを私が<>で加え、読みやすくするため改行を増やしています)。 ◎出典からの引用1 なお、「むなしき空」が霞や花に先立つものとして詠まれた歌に、 かすみとも花ともいはじ春の色むなしき空に先づしるきかな  101 <かすみとも はなともいわじ はるのいろ むなしきそらに まずしるき

    赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(二)時間と空間が織りなす模様
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2014/03/18
    赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(二)時間と空間が織りなす模様
  • 赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(一)この刹那に世界がはじけ

    敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。 今回からは、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ◎以下、出典からの引用のまとまりごとに続けて、☆記号の後に私が呼び起こされた詩想を記していきます。 和歌の後にある作品番号は『式子内親王全歌集』(錦仁編、1982年、桜楓社)のものです。 (和歌の現代仮名遣いでの読みを私が<>で加え、読みやすくするため改行を増やしています)。 ◎出典からの引用1 一 ある場所に動かずにじっとしている時、人は空間よりも時間を意識する。式子内親王の歌から浮かびあがる作者像は、あたかも固定したカメラのレンズのように、目の前を運動してゆく自然を眺め、四

    赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(一)この刹那に世界がはじけ
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2014/03/16
    赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(一)この刹那に世界がはじけ
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • あたらし詩「記憶の肌着」を公開しました。愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想

    Author:高畑耕治 Profile:たかばたけ こうじ 1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住 詩集 「純心花」 2022年イーフェニックス 「銀河、ふりしきる」 2016年イーフェニックス 「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス 「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25 「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売 「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売 「海にゆれる」1991年土曜美術社 「死と生の交わり」1988年批評社

    あたらし詩「記憶の肌着」を公開しました。愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2012/02/05
    あたらし詩「記憶の肌着」を公開しました。
  • 心の歌、魂に響く詩を。『地獄の歌 火の聖女』(七)。愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想

    詩人・森英介、名佐藤重男の詩集『地獄の歌 火の聖女』をみつめています。 彼の詩集から、強く感動した詩篇全体作品と、強い響きの詩句を含む詩連を選びました。(抄)とある詩は全体ではなく、引用を略した詩連があります。またこの詩集には聖書や他の詩人の詩からの多くの詩句引用があり、詩集を構成する一部として鑑賞できますが、以下では略しています。 この詩人と詩集について最終の今回は次の五つの詩を感じとり、私が感動したままに詩想を☆印の後に添えます。 生(抄)、母、酬い(抄)、冬、 ねがひ。 生 あゝ 心臓が ぴちと たち切れさうです (略) あゝ 心臓が、 たち 切れる ☆ 私の詩想 このひりひりするぎりぎりの、心の痛みは、この言葉でこのようにしか表せない、と感じてしまう表現です。心に刺さります。 詩の源は、焼きつけられた強烈な心象、それを最も鮮明に写す言葉を探し出すことだと、詩の根を思い出させてく

    心の歌、魂に響く詩を。『地獄の歌 火の聖女』(七)。愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想
  • ツェランの詩。ザックスの詩。 愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想

    ドイツ詩の韻律に耳をすませた前回、詩人の吉川千穂さんが論文に引用されていた詩、パウル・ツェランの「死のフーガ」と、吉川さんが研究されていたネリー・ザックスの詩を、ここに咲かせます。 ふたりの詩人とその詩を結ぶものに、第二次世界大戦時のナチスによる強制収容所があります。著者紹介を出典から引用しました。 ツェランの詩は語法も比喩も翻訳で感じとるには難解だと私は感じますが、この詩からは波状に繰り返し叫びが痛く響き押し寄せてきます。 ザックスの詩を私はまだこの『ドイツ名詩選』所収の2篇しか知らず、読み感じとってゆきたいと思います。 この2篇を読み強く感じることは、「ぼくら」「わたくしたち」という言葉の執拗な繰り返しです。迫害されたユダヤびとのひとりとして、殺されたあまりにも多くのいのち共に苦しみ、共に叫び、共に祈り、共にあろうとすることが、生きること、詩を書くことそのものに、なっているのだと感じま

    ツェランの詩。ザックスの詩。 愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想
  • 『閑吟集』『宗安小歌集』の好きな歌

    室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっています。室町小歌の心の表現の新しさについて前回次のように考えました。 ① 庶民の日常の生活での会話、肉声が聞こえ、顔の表情が見えること。(語りかけの語尾の・・・・なう、など)。 ② 和歌に欠けがちだったユーモア、滑稽感、卑俗さといった感情が吐き出された歌があること ③ それまでなかった音のあざやかな表現。(からりころり。ちろり、など)。 二回に分けて、私の心に響いた好きな歌を選び出し咲かせています。(ただし他の回に引用する小歌との重複は避けました)。 どの歌も室町小歌の良さである上述の特徴のどれかを響かせていますので、私が感じとれたことを、原文に続け、☆印のあとに記します。出典は、『新潮日古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(北川忠彦:校注・訳)です。 今回は『閑吟集』の

    『閑吟集』『宗安小歌集』の好きな歌
  • 『閑吟集』の好きな歌

    室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっています。室町小歌の心の表現の新しさについて前回次のように考えました。 ① 庶民の日常の生活での会話、肉声が聞こえ、顔の表情が見えること。(語りかけの語尾の・・・・なう、など)。 ② 和歌に欠けがちだったユーモア、滑稽感、卑俗さといった感情が吐き出された歌があること ③ それまでなかった音のあざやかな表現。(からりころり。ちろり、など)。 二回に分けて、私の心に響いた好きな歌を選び出して咲かせます。(ただし他の回に引用する小歌との重複は避けました)。 どの歌も室町小歌の良さである上述の特徴のどれかを響かせていますので、私が感じとれたことを、原文に続け、☆印のあとに記します。出典は、『新潮日古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(北川忠彦:校注・訳)です。 今回は『閑吟集』の十

    『閑吟集』の好きな歌
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/07
    たかばたけこうじ「地平線へ、歌を探して ―やぎゅうさん の心」。雑誌「エヴァ」1996年11月号~1997年12月号連載。
  • 『梁塵秘抄』(二)中世民衆の心の歌

    中世の歌謡、今様の花園『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を感じとろうとしています。 この歌謡集はおおきく、中世の民衆の心の咲き匂う園である「四句神歌(しくのかみうた)の雑(ぞう)」と、中世信仰の園である 「法文歌(ほうもんのうた)」にわかれています。どちらも心の豊かな深みからの歌声の魅力を、異なった表情で湛えています。まず今回は、「四句神歌(しくのかみうた)の雑(ぞう)」を聴きとります。 「四句神歌・雑」の歌謡のいちばんの魅力は、出典に記されているように、「種々の生業を営む民衆の姿が活写されている」こと、彼らが心から共感した思いが歌われていることです。時を越えて、ふしは失われたけれども、私にも肉声が聞こえてきて、その情感に心が揺り動かされます。 男女の愛情の歌も、和歌では言葉にしないところまで、声に出し歌ってしまう、飾らない表現が私は好きです。 俗にどっぷり溺れすぎると、表現はいやらしさに

    『梁塵秘抄』(二)中世民衆の心の歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。『梁塵秘抄』(二)中世民衆の心の歌。
  •  『紫式部日記』(一)和泉式部の歌

    気の向くままの寄り道です。今回と次回は『紫式部日記』を通して『源氏物語』の作者の千年前の思いのうち、私の心を波立たせてくれた彼女の吐息にふれます。 今回は紫式部が和泉式部の和歌について記した個所です。 次の言葉が私にはとれも印象的でした。 「口から出るにまかせたあれこれの歌に、必ず魅力のある一点で、目にとまるものが詠みそえてあります。」 「実にうまく歌がつい口に出てくるのであろうと、思われるたちの歌人ですね。」 紫式部自身の和歌は『源氏物語』の豊かさに隠されてあまり評価されてこなかったようですが、物語のなかでの創作歌には歌う人間の思いの深さがにじんでいます。また彼女の人柄からか、穏やかな、もの静かな、落ち着いた内省のまなざしがあって、私は好きです。 とくに宇治十帖の、大君、中の君、浮舟の、悲しむ女性の心の揺れ動く歌には、涙で洗われるような、苦しみと背中合わせの澄み切った美しさ、落ち着きの底

     『紫式部日記』(一)和泉式部の歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。『紫式部日記』(一)和泉式部の歌。
  • 歌の韻律美と口語自由詩

    萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して、日語の歌の韻律美を知り、より深く聴きとろうと、4回にわたり試みました。初回冒頭に書いたとおり、私は日語で表現する詩人の一人として、その美しい韻律を作品で響かせたいといつも思っています。考察のまとめとして、「短歌の韻律美を口語自由詩にどのように生かせるか」を私なりに考えます。 ● 日語の歌の魅力 まず、各回でみつけた日語の歌の魅力は次のように、豊かなものでした。 1.音数律は呼吸そのもの、語数のリズムと間(ま)。 ☆ これが日語の息づかいです。 2.頭韻や脚韻やの柔軟自由な押韻の美しい調べ。 ☆ これが、定型枠で固まらない、感性がきらめく日語の音色です。 3.言葉の語感を生かした音象と、想(意味と表象)が不分離の世界を生み出し伝えられる。 ☆ 歌謡でも楽曲でも散文でもできず、詩でこそできること、音色と色調と想の融和が、詩歌という芸術のいのちです

    歌の韻律美と口語自由詩
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 歌の韻律美と口語自由詩。
  • 紫式部のまっすぐな歌『紫式部集』

    『紫式部集』から彼女らしさを感じる歌を選び出しました。 ゆたかな歌物語『源氏物語』に織り込められた創作歌794首は除いた、彼女の自選だとみなされている、約百数十首の私家集です。ここには七首のみ選びましたが、彼女の歌の特徴が現れていると思います。 彼女の和歌は、まっすぐです。ストレートに思いを綴っています。心のみ見つめた内省そのものの歌もあります。 基調音は悲哀の情感です。いのちの憂さと悲しみに揺れ、花開いた、あはれの歌です。 『源氏物語』の豊かに揺らめく大河とおなじ基調音にふるえる滴のようです。ああ、という声になるかならないほどの彼女の吐息が心を染めます。 複雑な修辞もなく、常識的な穏やかな言葉を選び、古歌の知識も理知と機知のひらめきも見せびらかすこともないので、独立した和歌として、歌人として高く評価されなかったのは、わかる気がします。 でも、私はこれらの歌を読むと感動し、いい歌、好きな歌

    紫式部のまっすぐな歌『紫式部集』
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩のエッセイ。好きな古典の詩歌。紫式部のまっすぐな歌『紫式部集』。
  • 和泉式部あくがれる魂の歌

    和泉式部の和歌から、私が好きな歌をここに咲かせました。 恋の歌も、哀傷歌も、切実な、痛切な、愛(かな)しみが心に響いてきます。歌は心の感動だと、いちばん大切なことを教えてくれる詩歌です。千年前の感動が今も心に響きます。 和泉式部の生涯は歌だったと感じます。毎日、些細なことから魂の極まるところまで、喜びも悲しみも、楽しいことも可笑しいことも嘆きも噂話まで、感じる心のままに言葉の抑揚にのせ歌にしました。 彼女の歌は、人の、女性の心、日常生活の近辺から命の先を思う遠いところまで、浅さから深さまで、静けさから激しさまで、揺れ動く心、いのちの豊かさを教えてくれます。 (訳を添えることも考えましたが、良い歌は部分の古語の意味を正確につかめない場合にも、歌全体、言葉の響きが伝えてくれるものがあるので、原文のみでも共感を言葉にできる歌を選びました。) 『和泉式部集』(以下「正集」)『和泉式部続集』(以下「

    和泉式部あくがれる魂の歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    ainoutanoehon.blog136.fc2.com 高畑耕治の詩のエッセイ。好きな古典の詩歌。 和泉式部あくがれる魂の歌。
  • 源実朝の祈りの歌

    「詩を想う」で願いと祈りと文学について『源氏物語』を通して考えました。願いと祈りの詩歌は、古代詩歌発生の時から絶えることなく受け継がれています。 好きな悲しみのうたのうち、(鎌倉時代初期の変動期に若くして殺された)源実朝の二首を、「愛しい詩歌」に咲かせます。今、私が感じる思いと変わらないと、心うたれます。 出典(通釈、語釈)は、水垣久HP「やまとうた」の千人万首(よよのうたびと)です。 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin.html 道のほとりにをさなき童の母を尋ねていたく泣くを、そのあたりの人に尋ねしかば、父母なむ身まかりにしと答へ侍りしを聞きて いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母をたづぬる 【通釈】いたわしいことよ。見ていると涙も止まらない。親もない子が母を求めて泣くさまは。 建暦元年七月、洪水天に漫り、

    源実朝の祈りの歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩のエッセイ。好きな古典の詩歌。 源実朝の祈りの歌。
  • 愛しい詩歌 『遺愛集』島秋人の歌

    『遺愛集』島秋人著(1967年、東京美術)から、私の心に特に強く響いた歌を30首紹介させて頂きます。 当初数首から多くて10首の紹介を考えましたが、これ以上削れませんでした。生きることへのあふれだした思い、愛(かな)しみと愛(いと)しさと祈りが織り込められた歌に、心をうたれます。 *出典は、上記の新装版で、歌集は1960年(昭和35年)から処刑執行の1967年(昭和42年)まで時系列に編まれています。同著には手紙も編み込まれていて、彼の被害者と被害者の関係者への偽りのない贖罪の心と、彼を見守る優しい人たちとの心の交感が伝わってきます。 *歌の掲載されたページを参考のため歌の前に記しました。 028 たまはりし処刑日までのいのちなり心素直に生きねばならぬ 028 被害者に詫ぶべき言葉なき文を綴りては捨て処刑待つのみ 036 賜りしお盆の花はわづかなる陽の射す方にみな向きて活く 042 わが罪

    愛しい詩歌 『遺愛集』島秋人の歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩のエッセイ。好きな古典の詩歌。『遺愛集』島秋人の歌。
  • 愛しい詩歌 正岡子規の歌、海の歌

    正岡子規の『歌よみに与ふる書』について思うことを記そうとしています。順序が逆になりましたが、まず子規自らの歌を読み返して私が好きだと感じた歌を記します。 私が若い頃に暗誦した数少ない歌のひとつが星の「真砂なす」の歌です。たぶん芥川龍之介の『侏儒(しゅじゅ)の言葉』の引用で知り、好きになったのだと思います。私自身は長い行の詩ばかり書いてきましたが、暗誦できる短さであることが短歌の良さ、魅力のひとつだと思っています。誰かに作品の一部の詩句であっても暗誦してもらえる詩を生むことも、私の願いのひとつです。 今回正岡子規の歌を読み返して、万葉集や源実朝の『金槐(きんかい)和歌集』への子規のこだわりは、嘘偽りの主張のための主張ではなく、とくに病の床での歌に凝縮して現れていると感じました。 *出典は、『子規歌集』(土屋文明編、岩波文庫)。 *原文の引用に続けて( )内にひらがなで読みを記します。 鎌倉由

    愛しい詩歌 正岡子規の歌、海の歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩のエッセイ。好きな古典の詩歌。正岡子規の歌、海の歌。
  • 1