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知里幸惠と遺稿に関するainoutanoehonのブックマーク (2)

  • 知里幸惠(三)遺稿「手紙」

    前回の遺稿「日記」に記したように、知里幸惠(ちり ゆきえ)は、『アイヌ神謡集』の原稿が仕上がり印刷所へと送られた年の、大正十一年(1922年)九月十九日、享年十九歳で亡くなりました。亡くなった年の六月から九月の「日記」と「手紙」が遺稿集として出版されています。 遺稿の「手紙」は亡くなった直前まで記されていて、両親への最後の手紙の日付は九月十四日付、亡くなった日の5日前です。彼女がどんなに生きたかったか、両親に会いたかっただろうか、と思うと悲しくてなりません。そこに記されている、病と闘いながら、アイヌを思い、肉親を思う、心を痛める優しい生の声の切実さに、心を揺さぶられます。 幸惠は、『アイヌ神謡集』という美しい祈りのようなで、「彼女にしか出来ないある大きな使命をあたへられてる事を痛切に感じた」、「愛する同胞が過去幾千年の間に残しつたへた、文芸を書残すこと」、「彼女にとってもっともふさはしい

    知里幸惠(三)遺稿「手紙」
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。知里幸惠(三)遺稿「手紙」。
  • 愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想 |知里幸惠(二)遺稿「日記」

    知里幸惠(ちり ゆきえ)は、『アイヌ神謡集』の原稿が仕上がり印刷所へと送られた年の、大正十一年(1922年)九月十九日、享年十九歳で亡くなりました。(出版は翌年です。) 亡くなった年の六月から九月の「日記」と「手紙」が遺稿として出版されています。公表を考えていなかったそこに記されている言葉、病と闘いながら、アイヌを思い、肉親を思う、心を痛める優しい生の声の切実さに、心を揺さぶられます。 『アイヌ神謡集』という美しい祈りのようなを、彼女がどのような思いで生み出してくれたかを知り、このに織り込められた願いと祈りをより心に聴き取るために、私の心に強く響いた言葉を書きとめます。 今回は、遺稿の「日記」の、彼女が自分をみつめ自分に問いかけ見つけようとした、心の言葉です。 ◎原点引用 (紫文字の箇所はとくに強く響いた言葉に私がつけたものです。) 「日記」  知里幸惠 大正十一年(1922年) 六月

    愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想 |知里幸惠(二)遺稿「日記」
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 知里幸惠(二)遺稿「日記」。
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