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ピチカート・ファイヴに関するakaneharaのブックマーク (2)

  • Pizzicato Five

    ピチカート・ファイヴといえば小西康陽と野宮真貴という最終形態からすればもはや「前史」に属してしまいそうな小西(b)、高浪慶太郎(g、vo)、鴨宮諒(kb)、そしてボーカル佐々木麻美子という4人組時代の唯一のフル・アルバムでありデビュー・アルバム。ノンスタンダード時代の12インチ・シングルで既にメジャー・デビューを果たしていたが、かっちりと構成した3分から4分のオリジナルの歌ものをフィーチャー(1曲のみインスト)した作は、小西の、世界に対する宣戦布告であったと言っていいかもしれない。 音楽的にはバート・バカラックの大きな影響を受け、ブラスやストリングスを大々的にフィーチャーしたソフトなポップスであり、佐々木麻美子の舌足らずで甘いボーカルも相まって、非常にソフィスティケートされたラウンジ・ミュージックである。その音楽形態からはロックとは呼び難く、実際当時のロック・ジャーナリズムにはほとんど黙

  • ピチカート・ファイヴ「モナムール東京」 - 俺にはブルーズを歌う権利なんかない

    引用、歌取り、パクリ、間テクスト性…そんなことばかり考えているうちに半年が過ぎ、一年が過ぎてゆく… 先日、ピチカート・ファイヴのシングルCD『モナムール東京』が出てきて、懐かしかったですね。97年の発売。当時、随分聴きました。今調べますと、いしだあゆみ「太陽は泣いている」にインスパイアされた曲だ、という指摘がネット上に散見されます(さらに矢野顕子「いろはにこんぺいとう」を想起させる、という指摘も)。引用というものが<聴き手との共通資源への言及>だ、と仮定しますと、これは明らかに筒美京平作品「太陽は泣いている」の引用ですね。短歌なら歌取りと言われるもの。一歩間違えば<パクリ>のそしりを受けることになりかねませんが、筒美氏にたいする小西康陽さんの敬意の深さを知っている人は誰もそうは言いませんよ。大事なのは、筒美作品を<下敷き>にしながら、昭和40年代歌謡と90年代のクラブミュージック(ドラ

    ピチカート・ファイヴ「モナムール東京」 - 俺にはブルーズを歌う権利なんかない
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