赤名リカとAV、ヘアヌードが「破壊」したもの、「破壊」できなかったもの - その1 の続きです。 1991年 ラブストーリーを見て女子が勝手に恋愛レートを上げた 1991年 そのぶん男子のためのヘアヌードが安くなった 実に分かりやすい。「恋愛」は結婚と同義に捉えてよい。「ヘアヌード」は広く売春を指す。何らかの形で性を売り物にして一過性の対価を得る行為すべてだ。対価を男に支払わせるための方策として結婚と売春は並立している。片方の市場が高騰したので、弾き出された参加者が大量に移動した結果、他方が暴落したのである。暴落と言っても直接に支払う金額が下落したのではない。本来は登録されなかった筈の銘柄が購入できるようになったという形で暴落したのだ。それが「ある日とつぜん、綺麗な女の子たちが、アダルトビデオに出るようになってくれた」理由である。 結局、結婚を諦めた女は身を売るしかないという悲しい現実が端
なぜ「ある日とつぜん、綺麗な女の子たちが、アダルトビデオに出るようになってくれた」のか。 - 消毒しましょ! これに乗っかって書くとまた「大野さんはオレのエントリが珍しくブクマ数を稼ぐと、自分は綺麗な女の子ともアダルトビデオとも全く無関係であるのに大喜びで駆けつけて自分のエントリの宣伝を始める」とか言われそうで厭なのだが、『東京ラブストーリー』を初めとしたドラマ分析を「面白いけど長過ぎる」と編集者にバッサリ切られて臍を噛んだ覚えのある者としては、一言(以上)言いたいことがあるので書かざるを得ない。長くなるので二回に分ける。 主に80年代を検証する『若者殺しの時代』(堀井憲一郎、講談社現代新書、2006)は、20〜30代の若い世代にとっては「なるほど、そういうことだったんだ」といった発見がたくさんあって面白いだろう。私などは58年生まれの著者と同世代なので、「ああそうだったな」「うわ懐かしい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く