いま、スーパーマリオブラザーズの映画が話題を呼んでいますが、初代スーパーマリオブラザーズのゲーム音楽を手がけたのが、名古屋出身の近藤浩治さんです。制作秘話をたっぷり聞きました。 ※近藤浩治さんインタビュー全文を掲載しました。(7月14日追記)
山内房治郎氏が1889年に花札の製造を行うために、京都市内の鴨川近く(五条楽園)にて「任天堂骨牌」を創業した。任天堂としての創業は1889年だが、4年先立つ1885年に山内房治郎氏は「任天堂骨牌」の他に「灰孝本店」というセメント販売業(問屋)を創業していた。つまり、山内家としては「セメント販売業」と「花札製造業」の2つの事業展開を行ったのが、任天堂の創業経緯である。 セメント販売業の事業は好調であり、1918年に小野田セメントと契約を締結。京都市内のコンクリート建築が増加する追い風によって事業を拡大した。 花札製造業についても、国内トップのタバコ会社だった村井兄弟商会と取引を行うことで業容を拡大。花札とタバコの顧客の親和性が高いことが功を奏した。1902年には「かるた」の製造に参入することで、娯楽メーカーとしての道を鮮明にした。
“よくできたゲーム”と“面白いゲーム”の違いとは?――マリオの父、宮本茂氏の設計哲学(前編)(5/5 ページ) 面白いのは僕らだけと違うかな 宮本 このあたりまでが3Dゲームになった第2世代と思っているのですが、ここから僕はすごく変わります。マリオカートシリーズなどを作るとお客さんも喜んでくれるのですが、「面白いのは僕らだけと違うかな」と思ったのです。任天堂にはマリオクラブというデバッグをするところがあって、そこでデバッグをしている人たちにアンケートをとると、「ここを直したほうがいい」などと言ってくれます。しかし、そこで「パーフェクトだ」と言われても、「ゲームを遊ぶということが前提になっている人にとっては面白くても、ゲームを遊ばない人にとってはちっとも面白くないのではないか」と考え始めたのです。 僕はチームの中で「世の中には“よくできたゲーム”と“面白いゲーム”がある」と言っています。僕ら
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