1898年11月25日、岩手県胆沢郡水沢町(水沢市を経て、現在の奥州市)の農家に生まれた。父の徳太郎は、田畑をそれぞれ三反歩ずつ所有する、いわゆる中農であった[4]。徳太郎は百姓でありながら農閑期になると寺子屋に通っていたといわれている[4]。ところが、徳太郎はかなりの大酒飲みで、のちに小沢家が没落していく原因となる[4]。 田畑を手放した徳太郎は、田小路の鈴木家で下男として働き、トメと結婚した頃には馬車引きをして生計をたてていた[4]。もともと短気だったため家の中では諍(いさか)いが絶えなかった[4]。佐重喜も子どもの頃から徳太郎に逆らい、ことあるごとに口論を繰り返していた[4]。 佐重喜には六人の兄弟姉妹がいたが、家が貧しくすでに妹も長兄も奉公に出されていた[4]。佐重喜自身も幼いときから徳太郎の手伝いをさせられたが、それでも隙を見ては学校に通っていた[4]。妹たちが家の手伝いのために