「父は三十歳の時から東京の市会、府会議員となって、政治の世界に入り、戦後は郷里から衆議院議員として国政に参加した。その長い政治経歴を評価されて、国会運営や党の国会対策の実務を担当し、たびたび選挙対策本部長となって選挙の采配を振っていた。その父は小選挙区制の導入を持論としていた。」という[3]。 来歴・人物[編集] 生い立ち[編集] 1898年11月25日、岩手県胆沢郡水沢町(水沢市を経て、現在の奥州市)の農家に生まれた。父の徳太郎は、田畑をそれぞれ三反歩ずつ所有する、いわゆる中農であった[4]。徳太郎は百姓でありながら農閑期になると寺子屋に通っていたといわれている[4]。ところが、徳太郎はかなりの大酒飲みで、のちに小沢家が没落していく原因となる[4]。 田畑を手放した徳太郎は、田小路の鈴木家で下男として働き、トメと結婚した頃には馬車引きをして生計をたてていた[4]。もともと短気だったため家