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書くと文章に関するam1130pm2330のブックマーク (2)

  • ネットで文章を書く「正しい動機」とは? - いつか電池がきれるまで

    僕はこう見えてもけっこうネット歴が長くて、昔の「深夜のラジオのハガキ職人みたいな人たちが、現実的な利益よりも自分の小さなプライドや達成感を賭けて、ネットにテキストを書いていた時代」を懐かしく思うことがあります。 最近の『はてなブログ』とかをみていると、「PV」や「マネタイズ」の花盛り。 それは悪いことじゃないんだろうけれど、そういうのを看板に掲げて商売をするのは、僕の流儀ではありません。 ここには、お金を儲けたい人ばかりがいて、読んでくれる人を「鴨がネギしょってやってきた」という目で見ているんじゃないか、とか、つい考えてしまうのです。 売りたい人ばかりが盛り上がって、「お祭り価格」でコンテンツをお客さんに高値で売ろうとしているのって、大学の学園祭みたい。 来るのはお祭りに参加したい人だけで、良いものが欲しい人は、この商店街を避けるようになってしまうのではなかろうか。 そんなお祭りが、長続き

    ネットで文章を書く「正しい動機」とは? - いつか電池がきれるまで
  • 書くのに必要なすべてのものー野田のフロー(流れ)図と創作系記事まとめ

    およそある程度以上の長さをもつ文章であるならば、次の3つの成分からできている。 A.書きたいもの/書く動機 B.書かなくてはならないもの(具) C.従うべきもの(枠や構成) A.書きたいもの/書く動機 文章の核には、書き手が書きたいものや書く動機がある。 これなしには、文章書きは途中で放棄されてしまうだろうし、そもそも書きはじめようとはしないだろう。 それは「これ(この発見/この場面)を書きたいだ!」といった直接的なものだったり、「認められたい」や「復讐してやる」や「単位がほしい」といった間接的な何かかもしれない。 実をいえば、これらの文章の核となる〈書きたいもの〉や〈書く動機〉は、最終稿に残らないことも多い。また書かれたとしても、分量的には全体のほんの一部分であることも少なくない。 逆に言えば、文章の多くは〈書きたいもの〉以外の要素で埋められる。 しかし分量的にわずかだとしても、核となる

    書くのに必要なすべてのものー野田のフロー(流れ)図と創作系記事まとめ
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