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芝居に関するamenotorifuneのブックマーク (2)

  • 2006-05-06

    セカンドライフシアター稽古。今日は男優がお休み。声の教材は「たけくらべ」。メンバーの一人Yさんが美空ひばり主演の映画を見ていた。うらやまし。今日は松浦理英子訳をテキストに使う。長吉16、正太郎は13。ガキの喧嘩なのであった。信如の取り出した小鍛冶の小刀も京都土産とくれば、まあ、木刀みたいなものですね。と口語訳でブンガクの敷居を極力低くして、次回から文語。 その後、父と暮らせば。3場4場を続けて読む。Yさん、Kさんともに去年からの成長著しい。なんだか立派な俳優だなあと思う。こういう現場にいることができて幸せだ。 連休中、飯塚優子氏のところで古いDiがきちんとファイリングされているのを見せていただく。萬年俊明氏のインタビュー掲載号(1989年12月号)を借りてきたので、以下全文掲載(文中の注も原文のもの)する。飯塚優子さんに感謝。 参考萬年俊明を弔う - 「engeki」的 1989年11月 

    2006-05-06
  • 2006-04-11

    札幌の演劇作家、萬年俊明氏が2006年3月26日他界した。生を享受して47年。 1980年代後半、札幌でデパートメントシアターアレフという劇団を主宰した。 十数年前に血液の癌を発病し、それ以来ほとんど芝居からは遠ざかっていた。 昨年、札幌のアートマネージャー飯塚優子氏の呼びかけに応え、「亘理渡来記すえ語り」という屯田兵のを主人公にした芝居の脚構成(半ば演出も)を行った。それが最後の舞台となった。 彼を弔おう。 昨年の夏、20のころからの友人が自死した。うつ病の果ての選択だ。ロックが好きな男だった。 わたしたちが高校から大学のころ、ロックはパンク・ニューウェイブの時期だった。CDは出まわりだしたばかり、MDは影も形もないころだ(また影も形もなくなろうとしている?)。 わたしたちはわかものらしくいろんな音楽を聴いた。邦楽(Jなんたらなんて呼称もなかった)ならフリクション、ルースターズ、遠藤

    2006-04-11
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