“逆手”と書いて「ぎゃくて」とも「さかて」とも読むわけだが、これらをおれはいままで「そういうもんだからそういうもんだ」と、とくに理由も考えずに使い分けていた。が、さきほど「“逆恨み”というのは、考えてみれば妙な言葉だな」と思った瞬間、「ぎゃくて」と「さかて」の使い分けがたちどころに腑に落ちたような気がした。 “逆恨み”をなぜ妙だと思ったかというと、「恨みをベクトル量だと考えた場合、方向が百八十度ちがうのであれば、すべての“逆恨み”なるものは、自分を恨んでいるということにほかならないのではないか?」という考えが襲ってきたからだ。しかし、“逆恨み”というのは、ご存じのように、自分を恨むという意味ではない。 待てよ。考えてみれば、“さかむけ”やら“さかまつげ”だって、百八十度向きがちがうという意味ではない。むしろこれらは、どちらかというと順方向へと向かっているのではあるまいか。指の根元側が開いて