李箱の代表作「終生記」は遺書として書かれた作品として知られている。この作品で問題視したい箇所は、序文に「十三篇の遺書」を書いてきた事実を明記していることであるが、そのため李箱の遺書は「終生記」だけではなく、他にも存在することが推測できる。ただしそれについてははっきりした資料が残っていないのが現実である。もう一つは「終生記」には芥川龍之介の遺書と自分の遺書を比較しながら、そこから離れて独自的な作品を書こうとする決心も表れているため、李箱独自のスタイルとともに芥川からの影響関係をも考えられるのである。したがって本論では、このような李箱の遺書をめぐって、作品の構造や内容を分析することによって「十三篇の遺書」を見つけ出すことを試み、また芥川の遺書と比較を試みるのと同時にそれを通じて改めて李箱の遺書の本意を考えてみたいと思う。
本発表は、宮崎県椎葉村の猟師と猟犬の交渉を、日常の場である里の領域と、狩猟が実践される山の領域の異なる位相から考察することを通じて、人とイヌの交渉を一元的に捉えるハラウェイに新たな視座を加えることを目指す。里ではつながれているだけのイヌが、狩猟の際には猟師をリードする主体性を発揮し、猟中に命を落とした場合にのみ神格化されるなど、種横断的交渉が各位相において全く異なるさまを民族誌的に提示する
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