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和諧社会に関するanteater0407のブックマーク (2)

  • (日本+中国)÷2=「和諧社会」 | JBpress (ジェイビープレス)

    胡錦濤政権は国民に対して、「和諧(わかい)社会」(調和の取れた社会)づくりを呼びかけているが、「和諧」社会の定義は必ずしも明らかになっていない。 感覚的には、対立が少なく、そこそこ幸せな社会が「和諧」社会だろうと思われる。しかし、現実の中国社会を見ると、国民の不満が増幅しており、決して調和が取れているとは言えない。 実は、社会の調和が取れていることと、富の蓄積、すなわちGDPの成長とは必ずしも関係がない。日は世界で2番目の経済規模を誇り、豊かさは世界トップレベルである。にもかかわらず、毎年の自殺者は3万人を超え、殺人事件も多発している。 古典的な経済学の理論は、もっぱら効率を追求することによってGDPの成長を目指すためのものである。1972年にイタリアのシンクタンク、ローマクラブが発表した『成長の限界』という論文は、近代経済学の理論がすでに限界を迎えていることを示唆していた。 今回の金融

    (日本+中国)÷2=「和諧社会」 | JBpress (ジェイビープレス)
  • 【ちゃいな.com】中国総局長・伊藤正 調和社会の看板が泣く - MSN産経ニュース

    中国西部の新疆(しんきょう)ウイグル自治区を初めて訪れたのは1977年夏だった。55年の自治区発足以来、新疆は大躍進運動や文化大革命など毛沢東路線で、深刻な破壊を受け、西部の対ソ最前線でもあったから、外国人には非公開だったが、中国外務省が私を含む北京常駐記者数人を招いたのだ。 訪れた幾つかの地方に満足なホテルはなく、招待所と呼ばれる政府の宿舎に泊まった。日中は40度の酷暑だったが、部屋にはエアコンはなく、鍵さえついていなかった。共産党が50年代に軍民一体で建設した新興都市、石河市は別として、出会うのはウイグル族かカザフ族ばかりで、行く先々で民族色豊かな歌舞の歓迎を受けた。多くは毛沢東賛美の歌詞だったが。 70年代までハミウリ、ブドウ、ヒツジ、綿花、じゅうたんなど、農牧業と軽工業で知られた新疆は、改革・開放政策の中で急速な変化を遂げる。特に西部の砂漠地帯を中心に有望な油田、天然ガス田に加え、

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