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戦争に関するaoki0104のブックマーク (2)

  • 有田芳生の『酔醒漫録』: 特攻隊の事実と真実(1)

    有田芳生の『酔醒漫録』 ジャーナリスト、新党日の副代表として挑む日の根的転換。その眼から見た日々の雑感を綴ります。「酔醒」は中国の「梁書」にある「酒を飲むこと能はざるも、賓客交遊を好む。終日獻酬して、其の酔醒を同にす」から取りました。 4月21日(土)吹上温泉の「みどり荘」。部屋の椅子に座り右手を見ると大きな池がある。虫の声と琴の調べが気持ちを落ち着かせる。斎藤茂吉が逗留していた宿でもある。いまから62年前のいまごろ、この宿に泊った若者が数日後には特攻隊員として出撃していった。「散華」した者、引き返して生き残った者、その究極の選択はさまざまだった……。朝、ホテルを出て知覧に向かう。まず特攻隊員に母のように慕われた鳥濱トメさんが営んでいた「富屋堂」跡へ。お孫さんの鳥濱明久さんに当時の説明をしてもらう。笑顔の特攻隊員の写真は、いわゆる報道写真だとわかった。「さあ笑ってください」と軍の報

    aoki0104
    aoki0104 2012/09/22
    歴史は単線でないのになぜそういう見方ばかりになるのか。有田氏の投稿を読んでそんなことを考えた。真実は人間の数だけある。個々の真実を積み上げたものが歴史なのか、それとも無味乾燥なデータの積み上げが歴史か
  • 板津忠正|知覧特攻平和会館 初代館長

    特攻の真実と平和 特攻の話は、広島や長崎と違い生還した人が少ないため、間違った情報が伝わっている。 1941年、日アメリカ戦争になった。その4年前、中国とも戦争を始めていた。板津氏は1937(板津氏小学校6年生のとき)から1945年、昭和20年8月15日(板津氏20歳)の8年間は戦争の真只中にいた。 戦争が終わる時には陸軍特別攻撃隊、沖縄特攻隊員の一員だった。講演題「特攻の平和と真実」とは、鹿児島県川辺郡知覧町にまつわる特攻隊の話である。 特攻作戦の飛行場の跡は、現在、さつま芋畑、茶畑になっている。その一部が平和公園として多くの人に親しまれている。そこにある桜並木は全国的にも有名である。 板津さんインタビュー 今、知覧特攻平和会館の入場者は年間72万人を超え、増加の傾向にあるんです。 修学旅行生もたくさん来てるんですよ、年間5百校以上。バスから降りた生徒さんたちはガヤガヤしながら物見

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