かって一人の男がいた 大正7年、第一次大戦等の影響で物価が高騰し、庶民は生活難に陥っていた。7月22日には富山県で米騒動が起きると、それに呼応するように米の安売り要請運動が全国各地で繰り広げられることとなる。 時の政府は効果的な打開策を見出すことができず、手を拱いているばかり、そんな中で一人の男が静かに立ち上がった。 その名も赤津政愛(あかつせいあい)である。 彼が提示した解決方法は単純明解、米が高いなら他のものを食べればよいといったものである。有名な「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」にも似ているが、日中戦争の際にも食料難から節米運動というのが起きている。こちらも米以外のものを食べようという運動だ。 節米運動は、日中戦争時にいきなり発生したものではない。実は前述の米騒動をきっかけに、代用食の探究が始まった。つまり赤津の発想は特に珍しいものではなかったということになる。 赤津政愛
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