幼少期、何度となくこの言葉に傷つけられてきました。生まれたのはチェコですが、住んでいたのは生後数ヶ月まで。幼稚園から小学校にかけての2年間はハンガリーでしたが、英語圏ではない国。それ以外の期間は、ずっと英語に触れることなく、日本の、大阪で育ってきたのです。 父の転勤で、ドイツで中学校生活を送ることが決まった時、日本語で学べる日本人学校ではなく、すべての授業が英語で行われるインターナショナルスクールに通うことを選んだのは、この「ハーフなのに日本語しかできないの?」というステレオタイプに苦しめられたくないという思いがあったからです。