ご丁寧にありがとうございます。 わたしが嫌いとする根拠が差別的であったということは指摘されて理解しました。素直に反省しています。 ただ、本来自分がそうしたいと思っている振る舞いを抑制するのは、マジョリティ・マイノリティに関係がないと思うんです。 そこをあえて「嫌い」と公言しあえることで、「嫌いな人」が多ければ抑制、少なければ自由にっていう使い分けもできると思います。 今の世の中は、「嫌い」の公言が抑止されていることで、自分の振る舞いや出で立ちを「嫌いかもしれない」という考えにかえって抑圧されてしまっていると思うのですがいかがでしょうか。 「嫌い」であることを言えない世の中より、お互いの「嫌い」という意見を許容しあえる世の中のほうが自由だと思います。 それよりも、コメントでもいくつか見られるように「嫌いと言われるのはかまわないけど、言われたら反撃する」という考えが許容されていることにどうして
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