小田原出身のアニメ原作者・監督である富野由悠季さん(73)が生み出した『機動戦士ガンダム』が35周年を迎えた。現在放映中の記念作品『ガンダム Gのレコンギスタ(以下、G‒レコ)』を製作する東京都杉並区にある(株)サンライズのスタジオを直撃し、これまでの作品に込めた思いと、”リアルな空想”にふけった少年時代について話を聞いた。 中1で想い描いた幻の「小田原空港」 富野監督の少年時代は酒匂川で遊び、絵空事を思い描く日々だった。「小田原と言えば酒匂川」というほど想いは強く、河原の玉砂利の上を裸足で駆け回り、泳ぎを覚えた。 当時は勉強よりも空想が大好きで、教科書を開くと絵空事のアレコレが思い浮ぶ子どもだった。描くのが好きだった飛行機の図面は、「今ある設計図を自分ならこうする」「自分が乗るならこんな飛行機がいい」と、日々想いを巡らせていた。 中学1年の頃に描いた「小田原空港」の設計図も、その一つ。小