タグ

出産と人生に関するau_gold303のブックマーク (6)

  • もうすぐ子どもが生まれます

    ここ最近盛り上がっている、子どもを産むことに対するネガティブな言説を読みあさってしまったが 私は来月出産予定の臨月妊婦だ。 子どもを産むことは鬼畜の所業、馬鹿、親のエゴ、生まれない方がマシ・・・ そんな言葉の渦のなかで、私のお腹からまた一人子どもが生まれようとしてる これらの増田には強く非難される鬼の所業だろう この増田に共感するとブコメしてた人たちにも 私は20代のころうつ病にかかって、毎日死にたいと思っていた 同級生のようなキラキラした20代を送ることができず、引きこもって屈としていた それこそ、生まれてきたことが間違いだと思ったし、自分みたいな人間は生きる価値もないと思っていた その時すごく思ったのは、こんなに毎日死にたいと思っているのに、どうして自分はなかなか死なないのかってことだったんだけど 何度か自殺未遂を試みるんだけど、どうしてもうまくいかなかったんだよ 怖くて恐ろしくて泣

    もうすぐ子どもが生まれます
  • 障害児を産むのが恐い

    10代の頃まで、私は負け組だった。 家は貧乏。成績も悪い。母は醜く太っていて、私もそんな母に似てやはりデブだった。 高校1年生の時、初恋の相手にこっぴどく振られた。そこで奮起した。 まずはダイエット。徒歩だと片道1時間の通学路をバスを使わずに走って登下校することにした。昼も抜いた。 おかげで定期代と昼代が浮いた。そのお金で服や化粧品を買った。 勉強も頑張った。苦手教科はバイトしたお金で予備校に行った。 そんなわけで、かつてデブ・ブス・バカだった私は、中の上くらいの容姿と、中の上くらいの国立大学生という地位を手に入れた。 今ではそれなりの企業に就職し、結婚を約束した彼氏もいる。 早く結婚はしたい。ただ、子どもを産むのは恐い。 もしも産まれたのが障害児だったら、今までの努力が全て無駄になってしまうからだ。 せっかく苦労して手に入れた幸せ、絶対に壊したくない。 私の弟は障害者だ。 弟のことは

    障害児を産むのが恐い
  • 「子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    私は31歳になった。男性のパートナーと同居しているので、表向き上、「幸せなヘテロのカップル」ということになっている*1。子どもはいない。たぶん、持つことはないだろう。 このたった三行を書くために、ものすごく緊張する。私にもそれなりに事情があるのである。その詳細を他人に言う気もしない。だからと言って、「産まない」と固く決意しているわけでもなく、ふらっと産むかもしれない。だが、ピルを飲んでいるので偶然の妊娠の可能性も低く、順当にいけば私は子どもを産まないだろう。 そこに、こんな言葉が降ってくることがある。 「子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」 私は黙って、困った顔をして笑う。なぜ「産まない=考えていない」のだろうか。散々、考えた挙句、産んでいないのだ。 だいたい、「考えろ」「考えろ」って、どうやって考えるのだ。この社会は、妊娠出産に関する費用の負担も大きく、産んだ後の保育も十分に整備さ

    「子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 2人目産むの無理ゲーすぎる

    昨日、出産するのに「2人目の壁」があるってニュースでやってたけど、2人目産むの当に無理ゲーすぎるよ。 だってね、上の子がいるんだよ、上の子。 ただでさえ、上の子の風邪とか予防注射とか健診とかで会社の有給はカツカツ、同僚の顰蹙買いまくりなところ、更に妊婦健診とか行けるかっつーの。 1人目の時は、妊婦健診で遅れた仕事は残業して取り戻せば良かったけど、今は保育園に迎えに行かなきゃいけないから残業も出来ない。 苦肉の策として、夜7時までやってる病院を探して仕事が終わってから子連れで妊婦健診に行くことにしたけど、上の子としてはお腹は空くし退屈だしで騒ごうとするのを抑えるのが当に大変だった。 いや、ここまでは単に「大変で疲れた」だけなのでまだ全然良かった。 疲れたのは我慢すればいいだけだもんな。 当に困ったのは、早産傾向があると診断されて、上の子抱っこ禁止、早歩き以上厳禁、と言い渡された時からだ

    2人目産むの無理ゲーすぎる
  • 余命5カ月で孤軍奮闘した南相馬”カリスマ産婦人科医” - ライブドアニュース

    2013年3月14日 7時0分 リンクをコピーする by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 今年1月22日、福島のカリスマ産婦人科医が亡くなったという 余命5カ月の末期がんと診断も、産婦人科医がいない被災地で診察を続けていた 同時に、地域の放射能対策にも奔走していたという 今年1月22日、福島のカリスマ産婦人科医が逝った。原発事故後、余命5カ月の末期がんと診断されても、産婦人科医がいなくなった南相馬市で診察を続けた高橋亨平(きょうへい)先生(享年74)だ。 大地震の後、福島第一原発が12日から立て続けに水素爆発を起こした。亨平先生の医院は原発から25キロ圏内。市はバスをチャーターし、近県に順次、住民を避難させていた。亨平先生は、患者が来るだろうと医院に残った。だが物流は途絶え、薬剤の供給も止まり、病院の存続さえままならず、震災10日ほどで亨平先生もいったんは避難した。 スタッフが避

    余命5カ月で孤軍奮闘した南相馬”カリスマ産婦人科医” - ライブドアニュース
  • 【幸せ?】10代の出産【後悔?】

    1 名前:名無しさん@3周年 :2006/11/01(水) 15:45:06 0 10代で母になった女性に質問 幸せですか?後悔してますか? 色々な意見聞かせて下さい。 続きを読む

  • 1