僕は小さい頃から集団行動が苦手で、みんなが普通にできるようなことができなかった。早くから自分は普通の人と同じ人生は歩めないと思っていたし、歩むつもりもなかった。 そんななんで、「みんなと一緒に同じことをやっていれば大丈夫」という当時あった思想的な安全圏(幻だったけど)の外で生きなきゃいけないとコンプレックスに心を痛めながら思ったものだ。必然的かどうかはわからないけど、そのせいで「自分は何者なのか」という問いが常に自分の中にはあった。人と違うからこそ、それがわからないと、僕は幸せに生きていくことができないと内心思っていたからだ。 アメリカに滞在していた数年間でいろんな国の人と会い、思想や生き方の多様性を学び、「みんな違ってていいんだ、大丈夫なんだ」とわかってからは、鬱屈した感情は晴れ、一気に自由になれた。しかしそのことでなおさら「自分は何者なのか」という問いの答えを求め、考え続けていた。 そ