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bookに関するban-ba-banのブックマーク (3)

  • なぜ大どろぼうホッツェンプロッツは死なないのか? - 虚無回転レシーブ

    この物語は自分のために書かれたに違いない。不思議とそんなふうに感じる作品がある。そう感じるかどうかというのは、面白い面白くないという感覚と必ずしも対応しているわけではなくて、例えば鴎外も漱石も面白いけれど、鴎外の作品を読んで自分のために書かれたというふうに感じることはまずない。これが漱石になると、自分のために書かれた感がかなり強くなる。これは読む時の年齢によってもまた違う感覚があるのだろうし、もちろんこういう感覚というのは人それぞれにあって、それぞれに愛着のある作品というのがあるんだろうと思う。 オトフリート・プロイスラーさんが亡くなられた。 →「オトフリート・プロイスラー氏死去=ドイツ児童文学作家」 小学生のとき、従兄弟の家で『大どろぼうホッツェンプロッツ』を読んだ時、これは自分のために書かれたんじゃないかと気で思った。主人公のカスパールと仲良しのゼッペルは当の友達のように思えたし、

    なぜ大どろぼうホッツェンプロッツは死なないのか? - 虚無回転レシーブ
  • 『2666』はスゴ本

    すごい経験をした、「面白い」を突き抜けている。 一番大切なものは、隠されている。それが何か、読めばわかるのだが、読み終わっても消えてくれない。「余韻が残る」といった可愛らしいものではなく、ずっと頭から離れないのだ、呪いのように。 モチーフを描いて、背景ともに詳細を語る。その後、モチーフだけ消し去ってしまう。なくなった空間に、視線と伏線がなだれ込む。モチーフのあった場所は消失点となり、その周囲には注釈や言伝が散りばめられる。ボルヘスの『伝奇集』のイントロを思い出す。 長大な作品を物するのは、数分間で語り尽くせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差し出すことだ。 ボルヘスは提案する、代わりに架空の書物への注釈を付けろと。だが、ロベルト・ボラーニョは、そうしない。八百ページ超、二段

    『2666』はスゴ本
  • 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」単行本、あす発売です。 : 増田俊也の執筆生活|公式ブログ

    2011年09月29日 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」単行、あす発売です。 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」単行はあす9月30日に発売になります。 値段は2600円(税別)と少し高いですけれども、辞書並みの厚さの704ページ2段組、原稿用紙1600枚という大長編なのでご理解ください。それに相当する情熱はぎっしり詰まっていると思います。 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか タイトルについて、なぜこんなタイトルなのかとよく聞かれます。 雑誌での連載を読んでいただいた読者の方はもちろん御存じだが、あらためていま、ここに説明したほうがいいと思いました。 このタイトルの元になった、そして私が取材を始めるきっかけになった猪瀬直樹先生の「枯れない『殺意』について」(週刊文春連載コラム「ニュースの考古学」)の全文が、以下です。 「『枯れない殺意』について」全文 猪瀬直樹 (「

    「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」単行本、あす発売です。 : 増田俊也の執筆生活|公式ブログ
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