昔、住んでいた桜上水団地が建替えでもめたので、聞いた範囲でトラブルに関して書いてみる。 場所は新宿から電車で15分程度の京王線沿線。高度成長期に立てられた大規模な団地で自然も多く桜の名所だったために人気があった。 ここに建替の話が持ち上がったのは約10年前。 ここら辺に関してはわりとよくある話で、デベロッパーと商売っ気のある一部団地の住人がつるんで高層マンション化を進めようとし、現住人は「ほとんどお金を使わずに新築が手に入る」「売り渡しに応じれば大金になる」という飴、反対する人間に対しては村八分他様々な嫌がらせという鞭の双方を使ってからめとっていった。 時間は掛かったがここ数年でほとんど団地の住人は退去し、反対派の数少ない人間が残る、ゴーストタウンならぬゴースト団地になっていた。 僕も行ってみたけれど、桜の名所で有名な場所だったのに団地内の移動を制限するための嫌がらせのような高いフェンスと
沿線付近には多くの軍事施設があったが、そのうち陸軍小倉兵器補給廠山田填薬所(現在の北九州市小倉北区にある山田緑地)にあった火薬倉庫の一棟が1944年6月16日の空襲により焼失した。このため、西部軍司令部の指令により新たな倉庫を探していたところ、当トンネルと吉木トンネルが空襲の被害から安全と思われ、適切な地下火薬庫であるとされた。 これにより1944年7月から1945年2月にわたって搬入が行われた。彦山駅まで列車で運ばれてきた火薬類はトロッコによってトンネルに搬入された。 1945年8月15日に日本が降伏し、第二次世界大戦は終結した。連合国福岡地区占領軍は添田警察署と責任者で山田填薬所長だった陸軍少佐に対して火薬類の引き渡しを指示したため、陸軍少佐は8月30日までに在庫確認したが、それによると二又トンネルには532,185キログラムの火薬及び爆弾の信管185キログラムが保管されていたという。
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