エロゲに関するbellflowのブックマーク (5)

  • エロゲ文化私観 : formalismの為の一考察/『失われた膜を求めて(仮)』

    2011年02月24日03:26 カテゴリエロゲ大学講義資料 formalismの為の一考察/『失われた膜を求めて(仮)』 formalismの自己言及性において、その同時の表現を確立するためのform下のcontentを考察してみよう。 第一に、ADV/NVLにおける文章構造の独自性が形成される形態を仮定する。 ・選択肢による物語の選択性 選択肢が存在することにより、複数の物語を内包する事が可能なのがADV/NVLにおける独自性の一つになる。 プレイヤーは恣意的にテキストを選択し、その選択に沿って読み進めることになる。 ・ループ構造 仮にテキストの構造が[1-2-3]という順序で表象されているとする。 [3]においてループの起点が用意されていれば、テキストの位置は[1]へと戻る事になる。 しかし、そこで表象される[1]は構造上において[1']で無ければならず、なんらかの変化を含むものとな

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    bellflow 2011/02/24
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  • エロゲ文化私観 : 理想の終末と崇高

    2010年07月09日13:02 カテゴリTweetまとめ美学視点 理想の終末と崇高 1999年のノストラダムスの大予言、2000年問題、世紀末とミレニアムという二つの数字的転機が必要以上の恐怖を煽っていた時期がメディアによって作られていた。 およそ十年前のこと、日々を生きるのに精一杯だったであろう当事の記憶の中にも一種しこりのように残っている。過ぎ去ってみれば何も無いものではあったのだが。 1996年公開の映画『Independence day』や1998年の映画『Armageddon』、1999年の映画『End of Days』にしてみても、世紀末の根底に抱えた緊迫を表層に押し出したかのような連続公開だった。 勿論、この20世紀末がまだ遠い時期からも終末を主題にした映画が作られていないわけではない、終末的背景が描かれるのは2005年にSteven Allan Spielbergによって

  • エロゲ文化私観 : Primal-ImageとGranted-Image::HOOK作品のコンセプト

    2010年12月04日23:07 カテゴリTweetまとめ Primal-ImageとGranted-Image::HOOK作品のコンセプト 製作および解釈に関わるイメージ的配置、これを私は[Primal-Image]:表現的根幹、および、[Granted-Image]:付加意匠、と呼び用いている。 表現的根幹とは主題・核となるテーマを指す。作品を構成し得る第一要素であると共に、客観に与れば、図像解釈学の領域になる位相的背反を持つ。 付加意匠とは表現的根幹を表象するために必要な、あるいはより魅力的に見せるための要素。 HOOKではこのPrimal-ImageとGranted-Imageの用い方が非常に技巧に富んでいる。 例として『HoneyComming』、また『Like Life』『Fairly Life』を取り上げる。 HOOKというブランドは、まずコンセプトを置き製作をする事を重視し

  • エロゲ文化私観 : 音表現による作品構成:『夏音』シリーズにおける表現の幅

    2010年12月03日00:11 カテゴリTweetまとめ 音表現による作品構成:『夏音』シリーズにおける表現の幅 『夏音-Overture-』『夏音-June Strange Song-』『夏音-Ring-』。 批評空間でも明らかにデータ数が少なく、これだけのポテンシャルを秘めているのに、完全に埋もれてしまっている作品。 Overtureなど、二編はプレストーリーなので、論はRingについて。 (勿論、プレストーリーも相当上質だ) まず起動する。この段階で一つの感動がある。 メーカーロゴが表示され、作品ロゴが表示される、次にスタートメニューが表示されるのだが、 ゲーム中の喫茶店の背景をベースに水色のスクリーンを掛け、ブロック状のボタンが表示される。 作品ロゴは小さく、左上に添えられるだけだ。 そして、最初の音の演出。 波音がわずかに、それも室内で聞くような、そう、喫茶店の立地条件を考慮

  • エロゲ文化私観 : 『ライト化と学問的方法論』:エロゲ文化概論01 補足

    2010年11月30日06:14 カテゴリエロゲ大学美学視点 『ライト化と学問的方法論』:エロゲ文化概論01 補足 学問から見るエロゲ。 解釈のライト化を超えて、要素を理解し、作品の魅力を深める事、これが趣旨の一つ。 講義内で少し紹介した、XANADU『ひめしょ』サキサカサキ考を例に。 ”地球を捨て宇宙へ展開した”サキサカの姫といして登場するが、問題となるのは、 身体の8割を機械化していると言う点だ。 その中で来、機械化した体を持つという概念が当てはまる”サイボーグ”または”義体”という言葉は使われない。 トワノアキヒトが彼女を呼ぶとき、そして子供たちが彼女を呼ぶとき”ロボ”という言葉を使う。 勿論、そこに”変形”や”自爆”という行動をさせる為の既定付けとも取れるが、それ以外の意味も込められている。 さて、講義で取り上げたのは呼称の問題以上に、身体の機械化に付きまとう諸概念の存在だ。 ”

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