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ホームレスと生活に関するbeth321のブックマーク (5)

  • 「路上脱出」、図書館から 昼間過ごすホームレスにガイド冊子:朝日新聞デジタル

    ホームレス向けにまとめた「路上脱出ガイド」を置く図書館が増えている。行き場がなく、図書館で日中を過ごす人が多いのに目をつけた試みだ。ガイドを見て自立へのきっかけをつかんだ男性は、この取り組みがホームレスの立ち寄り先全体に広がるよう願う。 区立日比谷図書文化館(東京都千代田区)は、2階図書フロア… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

    「路上脱出」、図書館から 昼間過ごすホームレスにガイド冊子:朝日新聞デジタル
  • ホームレス

    以前から気になっていたホームレスがいる。 都会では珍しくないかもしれないが女のホームレスでここ半年くらいから近所の神社付近にいる。 女性ということで目についただけかもしれない。24時間スーパーに入った瞬間わかった。 ガンズアンドローゼズのギタリストみたいなおばさんがパック詰めされたおかずの棚を見ていた。 寒さをしのぐには客のふりをするしか無いのだろう。 今日は特に寒い上に雨も降っており外にいるのはしんどい。帰宅途中であった私もずっとしんどいと思いながら自転車を走らせていた。 私は特に注意することもなく買い物を済ませまた寒く雨が降る中自転車を漕いで自宅に向かった。 つらい帰路のせいか、自宅に着くとものすごい安心感に包まれた。 そこで思ったのだがあのホームレスおばさんはどうなのだろうか。帰る家がない。寒さをしのぐため一目をはばからずスーパーの中にいる。 もちろん寝ることもできず、ひたすら陳列さ

    ホームレス
  • ホームレスのおじいさんは孤児たちにとっての真のヒーローだった。

    気が付いていないだけで、いや実際は見て見ぬふりをしているところにもヒーローは存在する。今年99歳になるというブルガリアのこのおじいちゃん。家をもたず路上で生活をしている。戦争で聴覚をほとんど失ってしまい、物乞いをしているが、彼を知る人はみな彼を「ブルガリアの聖人」と呼ぶ。 99歳のドブリ・ドブレフおじいさん。第二次大戦で聴覚をほとんど失ってしまった彼は、毎日25kmもの距離を徒歩で移動するのを数十年も続けている。自らが作った質素な服と皮のを身につけ、村からブルガリアの首都ソフィア市まで歩き、お金を恵んでもらう日々を過ごしているのだ。 この画像を大きなサイズで見る 物乞いをしているとはいっても自分の為にしているわけではない。ドブレフおじいさんは家を持たず、毎月80ユーロ(約11,000円)の年金で生活をやりくりしている。 この画像を大きなサイズで見る おじいさんは数年かけて集めたお金をすべ

    ホームレスのおじいさんは孤児たちにとっての真のヒーローだった。
  • ホームレスしてたけど質問ある?

    8 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2014/01/08(水) 00:08:12.97 ID:FF6TOcFY0 >>6なんでなまぽもらわなかったん? 11 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2014/01/08(水) 00:10:22.41 ID:AELtONXt0 5 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2014/01/08(水) 00:06:38.45 ID:e1vGqaq20 >>1 期間はどれくらい 7 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2014/01/08(水) 00:08:01.31 ID:16OGkrdw0 >>5 丸一年 春夏秋冬一通りすごしたホームレスで 9 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2014/01/08(水) 00:09:33.34 ID:I/DoQbGY0

    ホームレスしてたけど質問ある?
  • 貧困は連鎖する/安田菜津紀 - SYNODOS

    「豊かな日なのに、ホームレスの方がいて驚きました」。カンボジアから留学に来た友人の率直な感想だ。日貧困問題は「世界の貧困に比べれば、問題視するほどではない」と、あまり光を当てられずにきた。しかしアフリカや各国にはびこる飢餓のような「絶対的貧困」の問題としてではなく、日で考えなければならないのは、その社会のなかに身を置いたときに、生活上の望ましい状態を維持することができるかどうか、つまり「相対的貧困」だ。 わたしがこの日貧困問題について考え始めたのは、学生時代だった。もともと幼いころから母子家庭に育っていたため、生活が楽ではないことには慣れていた。けれどもそんななか、家庭を支えてくれていた母が癌を患った。手術後の経過は良好ではあったが、癌以外の病も患うこととなり、以前のように働ける状態ではなくなってしまった。 そこでわたしたちはまず市役所に行き、生活保護を申請することにした。する

    貧困は連鎖する/安田菜津紀 - SYNODOS
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