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印刷とcultureに関するbeth321のブックマーク (2)

  • 活字鋳造を残したい 平成生まれが「活字」を産み出す「自動活字鋳造機」に心奪われた

    突然ですが皆さんは「活字」と聞いて何を思い出しますか? 平成生まれ幼少期ガラケーピポパポ世代の私は、「若者の活字離れ」「活字を読む」など文章一般のことだと認識しておりました。それも間違いではないのですが、「ん? 違うよ!」「活版印刷の時組むアレのことでは?」とお気づきの方、その通りです。 上の写真が「活字」。初めて見た時に「わ! お正月スタンプだぁ」と思ったゆとり世代をお許しください。知らない同胞のために説明いたしますと、かつて「活版印刷」という印刷方法が主流だった時代、世の中の印刷物のほとんどは1文字1文字作られたこの「活字」を並べて(組んで)、インクをつけて、紙に刷って印刷されていました。う……ウソだと思うでしょ……当なんだよ……。 時代が進むごとに見かけることが少なくなった活版印刷、そして「活字」。その活字を作り続けているお店が東京・新宿にあります。大正6年創業の「佐々木活字店」で

    活字鋳造を残したい 平成生まれが「活字」を産み出す「自動活字鋳造機」に心奪われた
  • 東京新聞:81歳1人で続けた印刷所 廃業 味わいの活字譲りたい:社会(TOKYO Web)

    埼玉県朝霞市で小さな印刷所を約四十年間経営し、活版印刷ひと筋に生きてきた渡辺昌郎(まさお)さん(81)が、高齢と病気のため惜しまれつつ廃業した。心残りなのは、十万個以上あるという鉛の活字を廃棄しなければならないことだ。「誰かに生かしてもらい、昔ながらの印刷技術を知ってほしい」。渡辺さんは、無償で引き取ってくれる人を探している。 (谷岡聖史、写真も) 狭い作業場の棚一面に、漢字やひらがな、カタカナの活字が並ぶ。「今まで生活できたのは活字のおかげ」。そう感謝する渡辺さんは、今の東京都目黒区で生まれた。五歳のときの病気で両脚に障害が残り、十歳までに両親を亡くした。預けられた親族に「歩かなくても働けるのでは」と勧められ、戦後間もない一九四九年、十六歳で中央区内の印刷所で働き始めた。 「空襲など戦時中の混乱で学校に通えず、印刷所が教室代わりでした」。膨大な種類の中から目当ての活字を選び出す「文選」や

    東京新聞:81歳1人で続けた印刷所 廃業 味わいの活字譲りたい:社会(TOKYO Web)
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