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思想と はてなに関するbeth321のブックマーク (2)

  • 愚行権は「バカなことをやる自由」ではないんだよね - novtanの日常

    愚行権ってさ、ある種の自己責任論で、他人を巻き込まない限り不幸な結果になる可能性を知ってなおそのことを行う自由のことであって。 愚行を認めよう、奇特を認めよう、そうやって生まれた数奇な出来事に感動しよう。あるいは「世の中には馬鹿な奴がいるなぁ」と思いっきり笑おう。そうすればネット社会はもっと豊かになれる。 愚行権の行使が認められるネット社会をつくろうぜ! - はてな村定点観測所 奇特を認めるとか、数奇な出来事に感動するってのは愚行権の有無とは全然関係ないことなんじゃないの?別にさ、死ぬのわかってて嵐の中で断崖絶壁から飛び込み動画撮影するのはいいんだぜ?。ただ、捜索に出た人が巻き込まれて死ぬことも十分に考えられるような場合、それを愚行権が保証していると見なすのは無理ではある。 周りを巻き込むかどうかにかかわらず、これは当然のことなんだけど、愚行権が愚行を保証している代わりに愚行を行ったことに

    愚行権は「バカなことをやる自由」ではないんだよね - novtanの日常
  • 承認欲求と公共圏と大衆の意思 - はてな村定点観測所

    2014-08-28 承認欲求と公共圏と大衆の意思 承認欲求の話題が盛り上がっているので、ちょっと書いてみる。 承認欲求は現代社会における文化的権力(監獄) 承認欲求はネット社会固有のものではない。facebookいいねやはてなスターの代わりに、現実社会では「ありがとうございます」「おっしゃるとおりです」「お疲れ様です」と社交辞令や挨拶を言い合うことによって、お互いの存在や立場を承認する。敬語などでは相手のポジションを承認して言い回しを変えたり、ネット社会よりもはるかに複雑に発達している。 現実社会の中にも承認欲求はインセンティブとして組み込まれているのだ。これが円滑に行われないとコミュニケーションが疎かになっていると思われて、相手に対して失礼になったりする。儀礼的無関心やスルーが許されているネット以上に、相互承認が要求されるのだ。LINE既読が問題になったりするけど、現実生活の会話でも「

    承認欲求と公共圏と大衆の意思 - はてな村定点観測所
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