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思想とセルクマに関するbeth321のブックマーク (2)

  • 「当時は貧しかったから身売りは仕方がなかった」には納得できない。 - yasugoro_2012's diary

    前回のエントリで予告した『帝国の慰安婦』への感想エントリを書く前に、前から書いておきたかったことがいくつかある。その一つが「慰安婦」問題の話題の際に時折耳にする「当時は貧しかったから身売りは仕方がなかった」という言葉についてだ。以下の動画でも西岡力氏が何度も口にしており、ずっと引っかかっていた。 *1 動画中で西岡力氏は、「当時は日韓国も貧しかったので身売りは仕方がなかった。自分も解決すべき問題だったと思うが、戦後の高度経済成長を経て社会が豊かになることで克服された」という主旨の発言をしている。 だがこのような人に問いたい。現在、貧しい人が身売りを強いられるのも仕方がないと言うのか?と。 実際に昨年話題になった生活保護申請の女性に「ソープで働け!」という対応 大阪市だけでなく「氷山の一角」という記事でも見られるように、貧しければ身売りもやむなしというのは決して過去の話ではない。しかし、

    「当時は貧しかったから身売りは仕方がなかった」には納得できない。 - yasugoro_2012's diary
  • 衆議院議員選挙の投票をボイコットします - やねごんの にっき

    きょうの衆議院議員選挙、今回もわたしは投票しないという選択をすることにしました。 いうまでもないことですが、「投票をする」という行為は、すべての住民にひらかれた普通選挙がいまだ制度化されておらず、したがって民主主義にもとづいた正統な議会をもたない日国においては、不当な特権の行使にほかなりません。 そして、今回のわたしの選択、「投票しない」「棄権する」という選択をできるということ自体もまた、かぎられた「有権者」のみにあたえられた不当な特権にもとづくものだというべきでしょう。 でも、あるいは、だからこそ、いっぽうでこうも思います。「かぎられた有権者はその自分にあたえられた特権を、より正義にかなう方向につかうべきではないだろうか? あえて投票しないことを選択するのは、そうした機会をみすみす捨て去る行為ではないのか?」と。ここは、わたしも悩むところです。 いずれにしろ、選択肢のかぎられたなかで「

    衆議院議員選挙の投票をボイコットします - やねごんの にっき
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