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性とゲイに関するbeth321のブックマーク (3)

  • セクシャルマイノリティサークルの現実

    僕、ゲイなんですけど、最近セクシャルマイノリティサークルに入ったんです。ずっといわゆるクローゼットというやつで、特に誰とそのことを相談することもなく生きてきたから、サークル入った時は、そーいうこと一切隠さずしゃべっていいんだってなって、すごく開放感がありました。近頃は、セクシャルマイノリティサークルではストレートの人(アライって言うとか)も入れるようにするか?で議論が起きてるんですが、このサークルではまだやめといてほしいなぁという程度には。 でも、しばらくするとその開放感も色あせてきてしまった。というのも、僕はゲイだし、セクシャルマイノリティサークルというのは大抵ゲイが最大勢力なのですが、ゲイには思想的に過剰な程、男性性が強い人が多いんですよね。違った書き方をすると、日社会に残る男尊女卑感とか、ホモソーシャル的雰囲気と言いますか。あ、ホモがホモソーシャルなのは当たり前か?笑 冗談はさてお

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  • ホモもレズも異性愛から一歩も外れていない

    それは、どちらにも男役と女役がいることから明らか。 もし当にホモやレズが「人類と言う種の存続を脅かす突然変異」なら、男役の男と男役の男、あるいは女役の女と女役の女が愛し合わなければならない。 が、それは出来ない。それは人間が、愛や性という概念に対して能的に「男性と女性」という役割分担を決めているから。 つまり、ホモは男の内にある女性性(女性らしさ)を愛しているだけで女を愛していることに変わりは無いのだ。 男性の中に女性が、女性の中に男性が部分的に存在しているのは心理学的によく知られているし、ホモやレズといった嗜好が古の時代からあったことを考えれば 人間は人を愛するとき、あるいは誰かに対して愛情を感じるとき、能的に見た目を通り越した内側、心だけを見ているということなんだろうと思う。 これは、見た目だけをより美しく、魅力的にする人間への批判的反応がなぜ支持されやすいのか(そして、それに対

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