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文と歴史に関するbeth321のブックマーク (3)

  • 「非コミュ」と「コミュ障」 - ARTIFACT@はてブロ

    あんまり気にしてなかったんだけど、「非コミュ」と「コミュ障」というものは、コミュニケーション、主に会話が苦手な人を指す同一のネットスラングとして生まれたが、育ちが違うためにどちらかの言葉しか知らない人が多そうだ。 非コミュとは - はてなキーワード 「非コミュ」は「非モテ」の流れで生まれた言葉で、はてなキーワードを見ると、2005年に作成されている。anigokaさん(当時はakogina)が生みの親ということでいいのかな? 非モテならぬ非コミュの存在 - ディープ素人 この言葉が主に流通したのは、はてな界隈だが、socioarcの非コミュ指数テストで、はてな外のネットでも認知された。 socioarc | 非コミュ指数テスト また、村上福之氏のように「非コミュ」を意識的に使う書き手もいる。 非コミュプログラマーが独立するのに必要なたった2つの勇気【連載:村上福之?】 - エンジニアtyp

    「非コミュ」と「コミュ障」 - ARTIFACT@はてブロ
  • 社会はサイエンスに対して「信」用・「信」頼しているにすぎないこと - 今日の雑談

    社会がサイエンスを信頼している、ということの意味を分かっている人が、サイエンティストでもそんなに多くないんじゃないか。ましてそれ以外の人たちの理解は相当怪しいんじゃないか。 当たり前の話だが、サイエンティストでもない人間が、さらに言えばその分野の専門家以外の人間が、その分野について理解すると言うことはまず不可能だと断じて良い。 もちろん、説明されれば理解できることもあるだろうし、それが全部無駄だとは思わない。 とはいえ、どんなに説明されても、微妙なところは専門家にしか理解できないのであって、つまり専門外の人間は、たとえサイエンティストであっても理解は行き届かない。 したがって、私たちは、理解できないながらも、その専門家の言うことを、その分野のサイエンスを、信用・信頼するより他なくなる。その分野の専門家が A と言いました。「なるほど、私にはよく理解できないが、専門家がいうのであれば A な

    社会はサイエンスに対して「信」用・「信」頼しているにすぎないこと - 今日の雑談
  • 今、インターネットおじさん(おばさん)として問われていること - シロクマの屑籠

    インターネットおっさんとしての生き方 ~36歳を迎えて | @raf00 リンク先は、黎明期からインターネットと付き合いながらおじさんやおばさんになった人には無視しにくい文章だ。 かつて、インターネットは若者の国だった。少なくとも、マスボリュームという点で十代〜二十代の比率が高い時代があった。二十二歳や二十四歳がそれほど若くないインターネット。オフ会で出会った三十歳がおじさんに見えたインターネット。 そのインターネットも、さほど若者の国では無くなった。今日日のインターネットには四十代、五十代も珍しく無い。聞けば、2ちゃんねるは高齢化しているという。いつの間にか、家庭や子育ての話題がtwitterやソーシャルブックマークを賑わすようになった――いや、変化は何年も前から起こり続けていたことだ。このまま推移すれば、健康や介護がtwitterやソーシャルブックマークを賑わす日もやって来るだろう。

    今、インターネットおじさん(おばさん)として問われていること - シロクマの屑籠
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