キャンプが始まって、10日ほど過ぎたころだろうか。日焼けしたイチローがTシャツ、ショーツ、ハイカットのシューズという姿でクラブハウスに入ってきた。それを見ていた米記者らが、つぶやくように言う。「あれが、40歳かよ!」もちろん、服装のことではなく、体のことだ。見事にシェイプされた体形は、服の上からでも容易に分かる。■40歳でユニホーム、ごくわずかそのとき、「米国人選手の40歳といったら……
阪神大震災から18年が経過した17日、オリックスの新入団選手ら約30人がほっともっとフィールド神戸で正午から黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。そんな中で別の動きを見せたのがヤンキース・イチロー外野手(39)。同時刻に自主トレを行っていたが、黙とうに参加せず、室内で黙々と打撃練習を続けた。 震災時の1995年、オリックスに在籍したイチローは当時掲げられていたスローガン「がんばろう神戸」の象徴。にもかかわらず、黙とうに参加しなかったのはなぜか。イチローサイドの関係者がこう説明した。「彼はそういった(人前で黙とうするしないの)考えを超えている。彼のような有名選手が(黙とうして)メディアに取り上げられることはいい面もあるが、悪い面もあると思っている。神戸に彼がいて生活しているだけでそういったこと(励まし)になっていると思う」 マスコミの前で黙とうすることはイチローの流儀に反するのだろう。犠牲者への思
1:風吹けば名無し:2012/06/26(火) 23:26:45.30ID:ZJH4MoIg 幼少時代 野球をやってたお兄さんの見よう見まねで5歳の時から野球を始め投手をやることが多かった。風邪で学校を休んでも夕方の練習時間なると「風邪が治った」と言って、練習しようとして監督に止められたことも。 小学生時代からプロ野球選手になると言う夢を持っていた。中学時代からひじの痛みがひどく外野手をすることが多くなった。 高校時代 野球の名門作新学院に入学し、俊足好打の野手として県内外から注目を浴び通算打率は6割を超えた。 3年時にはキャプテンを任されるものの甲子園の壁は厚く高校3年間で甲子園出場はなし。 大学時代 野球の名門日本大学に入学も入学直後に肘が爆発し関節ねずみ状態に。自信を持っていた走力でも長野に負け自信喪失、肘は故障という中、地元に戻って手術を受けることに。 野球部も退部しそのまま大学も
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