産経新聞文化面で月1回掲載している連載「テレビ還暦」。5月28日付で国産初の連続テレビアニメ「鉄腕アトム」を取り上げた際には、スタッフの一人だった「機動戦士ガンダム」の生みの親、富野由悠季さん(71)に話を聞いた。紙面では書ききれなかった富野さんの言葉をここで紹介する。とんがった“まなびや” 富野さんは日本大卒業後の昭和39年、手塚治虫さんが設立したアニメ制作会社の虫プロダクションに入社した。38年1月に「アトム」の放送が始まり、1年数カ月が過ぎたころだ。 当時の虫プロには、SFライターや漫画家、元教員といった雑多な若きクリエーターたちがスタッフとして参加。富野さんだけでなく、「タッチ」の杉井ギサブローさん、「銀河鉄道999」のりんたろうさん、「装甲騎兵ボトムズ」の高橋良輔さん、「あしたのジョー」の出崎統さん…ファンにはおなじみの有名監督らが虫プロを“まなびや”に巣立っていった。 富野さん