現在の久万高原町の東部。四国山地の中、面河川の左岸。高知県境と接する。面河川の流れにほぼ沿って、沢渡(さわたり)、黒藤川(くろふじがわ)、久主(くす)の順で、面河川の左岸の山肌に集落が点在している。 地名の由来 中津明神山にちなむ。 藩政期 松山藩領 明治以降 1889年(明治22年) 成立。 1875年(明治8年) 宮成学校開設、後の黒藤川小学校 1875年(明治8年) 久主学校開設、後の中津小学校 1887年(明治20年)頃 予土横断道路が隣の柳谷村まで開設。面河川を渡る渡船があった。 大正期 面河川に吊橋が架けられていた。 1935年(昭和10年) - 現国道33号線の改修工事が終了。大型自動車の通行が可能となり、隣県の土讃本線佐川駅 - 久万町を結ぶ省営バスが村内で営業開始[1]。 1947年(昭和22年) 村立黒藤川中学校、村立久主中学校開設 1955年(昭和30年) 合併に