2011年8月13日、沖縄県にて行なわれた小出裕章氏の講演(動画はこちら)の中で、2004年8月13日におきた事故、米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した際に放射性ストロンチウムを焼失あるいはまき散らしたことについて説明しています。小出氏は事故直後に沖縄に足を運び調査にあたったとのこと。その箇所のみを書き起こしました。 小出裕章「これは皆さんの街、ですね。えー普天間の基地がずーっとひろ、この奥まであって。本当にこの街の中にこんな基地がそこらじゅうにあるというのが沖縄の皆さんの現実、になっています。 えーそして、丁度今から7年前、今日、7年前の今日、この出来事が、起こりました。えー多分みなさんは私以上にご記憶だと思いますけれども。沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落して、墜落直後に消防隊が来て火事をけしているというそういう時の写真です。 現場はこんなですね。 国際大学の校舎の横にヘリコプターがこ
東京電力福島第一原子力発電所2号機で昨年6月、電源が喪失して原子炉の水位が30分にわたり2メートル低下する事故が起きていたことが、1日の参院予算委員会で明らかになった。 民主党の森裕子氏の質問に、参考人として出席した東京電力の清水正孝社長が答えた。菅首相もその後の対策の不備を陳謝した。 東電の説明によると、事故は作業員が誤って電源系のリレーに接触し、所内電源の供給が停止したことで起きた。原子炉は自動停止したが、外部電源への切り替えに失敗し、冷却水が送れなくなったため、水位が2メートル低下した。すぐに非常用ディーゼル発電機が起動したが、作業員が冷却装置を手動操作し、水位が回復するまで約30分かかった。燃料が露出する水位まで3メートルほどの余裕があったが、あと40センチ低下すれば、緊急炉心冷却装置が作動する間一髪の状況だった。
平成11年6月18日、志賀1号機は、第5回定期検査(平成11年4月29日停止〜7月23日起動)のため停止中でした。同日未明、原子炉停止機能強化工事の機能確認試験の準備として、制御棒関連の弁を操作していた時、2:17 想定外に制御棒3本が引き抜け、原子炉が臨界状態となりました。2:18 原子炉自動停止信号が発生しましたが、引き抜けた制御棒3本はすぐに全挿入されませんでした。2:33 弁の操作により制御棒が全挿入となり、臨界状態が収束しました。事故後に、所長以下関係者が発電所へ集まって対応を協議しましたが、約2ヵ月後に控えていた2号機着工などに影響があると考え、最終的に所長が外部へ報告しないことを決断しました。事故に関するデータを改ざんして必要な記録を残していませんでした。
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