〈八月や六日九日十五日〉という俳句がある。千葉市の小林良作さんは冒頭を〈八月の〉として投稿した際、似た句がすでにあると知らされ、作者や関係者を探した ▼たどり着いた一人が広島尾道市の故諫見勝則さん。きのこ雲を目撃し、戦後、医師となって原爆症認定に携わった。広島、長崎に原爆が投下された日と敗戦の日。これらの日々に何があったかを子や孫に語っていたという ▼68年前のきょうも、記憶に刻まなければならない。サンフランシスコ講和条約の発効で沖縄が日本から切り離され、米国の施政権下に置かれた。憲法は適用されず、「銃剣とブルドーザー」で土地を奪われた。基地の過重負担の原点 ▼差別的な構造は戦後75年、復帰48年の今なお続く。普天間飛行場から大量の泡消火剤が漏れた事故で、米軍は基地内の土壌採取を拒んだ。有害な有機フッ素化合物PFOS(ピーホス)を含むのに、汚染の状況が調べられない異常さ ▼明らかになったの