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増田と心理に関するbobusukeのブックマーク (3)

  • ちょっと前に増田で読んで考えこんだ話なんだけど

    もし「恥」の感情が進化の上で合理的じゃなかったとしたら、 どうして人間にはここまで強固に恥の感覚がプリインストールされているんだろう。 確かに現代社会では、恥をかくのを恐れていたら生き残れないのは事実。 恋愛はもちろん、仕事や娯楽ですらそういう部分が少なからずある。 自己啓発の文脈でも、「恥を捨てろ!」みたいなことは良く書かれている。 でも、もし多くの人間が恥知らずだったとしたら、そもそも「恥を捨てろ!」なんてこと 言う必要ないと思うんだよね。というか、大半の人間は恥を知っている。 実際は致命的な大恥をかかないために、小さな恥を恐れるなって話だろう。 でも、どんな人でも年齢の高低に関わらず、恥は明らかに人生の疎外要因になる。 こんな不合理な感情がいつまでも退化せずに温存されているってどういうことだ? 合理的に考えれば、人類みんながサイコパスみたいな恥知らずになって然るべきじゃないだろうか?

    ちょっと前に増田で読んで考えこんだ話なんだけど
  • 人は皆いい人だと言う新卒の子

    4月にうちの部署に入ってきた女の子がすごく社交的で、びっくりしている。 朝出勤すると「○○さん、おはようございます!」 というのは当たり前で、夕方くらいになると「今日は○○さんと一言もまだ話せてなくて、寂しいです!」とか言ってくる。 媚を売ってるとか、打算的にじゃなくて、当に純粋にそう思って言ってるみたい。 歓迎会で話してみると、基的な人間に対する認識が自分と違うことを知った。 その子はまず、人間とは「皆いい人だ」という前提があるらしい。話をすれば分かるし、会話すれば通じるはずだと思ってる。 嫌なやつどうするの?と聞いたら、「嫌なやつフォルダに入れる」らしい。そこで初めて警戒する人間と認識するのだと。 おれは人見知りなほうなので、この子と逆で、基的に全ての人間は「嫌なやつフォルダ」に入れている。 色々話して信頼するに足る人間だと認識すると、フォルダの中から取り出して「信頼できる人一覧

    人は皆いい人だと言う新卒の子
  • 「鬱に頑張れは禁句」って誰が言い始めたの?

    俺、仕事で心身ボロボロになって病を患ったことがあるのね。 同期で一人だけ脱落したことが当に情けなくて辛くて、毎日見えない元上司に謝罪して、見えない元同期に笑われて、死ぬことしか考えてなかった。 でも家族と幼なじみが支えてくれた。家族は家族で忙しいのに病院に連れて行ってくれたし、休みの日は幼なじみが俺の趣味に付き合ってくれた。 その過程でたくさん「頑張れ」って言われた。今はまだ辛いかもしれないけど、少しずつ頑張れって。その時俺、すごく救われたよ。 は頑張ろうとしても頑張れない病気だから頑張れは禁句!だって? 一緒に寄り添ってくれる人たちの「頑張れ」ほど心強いものはないんだよ。そこに論理は存在しないんだよ。 最近、すごくショックなことがあった。 を患っていた頃の俺を知らない友人A・Bと呑むことがあって、たまたま話の流れでで療養していたことを話した。 周囲の人にたくさん励ましてもらって

    「鬱に頑張れは禁句」って誰が言い始めたの?
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