1980年代初めに、現在のインターネットを予感させるような雑誌が日本に存在した! なんて言っても信じてもらえないだろうか。しかし実在したのだ。 その雑誌の名は「ポンプ」という。同誌を創刊した編集者・橘川幸夫は当時、その創刊意図を次のように書いていた。 《ぼくは、今「雑誌」を作ってるという意識はない。白い紙の束を全国に流通させることが、ぼくの仕事だ。黒いインクは、みんなに伝えたいことがある人、個人がやる仕事だ。ぼくの仕事は、一人→不特定多数につながる電話回線のとりつけだ》(「宝島」1980年5月号) 《一人→不特定多数につながる電話回線》という表現からは、やはりインターネットを連想してしまう。 実際、「ポンプ」をいま読むと、誌面で自然発生的に読者たちが同じ話題で盛り上がる様子はネットの掲示板を彷彿とさせるし、巻末には前号以前に掲載された投稿に対する意見や感想がまとめられ、ブログにおけるトラッ
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