東浩紀のデビュー作『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』(一九九八)は、従来のデリダ観を覆したことで知られている。ふつう私たちは、デリダの思想の変遷を次のように理解している。すなわち、六〇年代において彼は「脱構築」の理論について語り、七〇年代からはその理論をテクストの実践に移したのだ、と。だが、東浩紀によればそれは間違っている。東はデリダの主要概念である「脱構築」が、実際には大きく分けて二つあると見なすのだ。これら二つの脱構築は、『存在論的、郵便的』においてそれぞれ「論理的、存在論的脱構築」「郵便的、精神分析的脱構築」と呼ばれる。デリダは六〇年代においては前者の脱構築について主に語り、七〇年代を期に後者の脱構築を全面化した。したがってそれは、理論として語っていたものをたんに実践に移した、という単線的な話ではありえない。これが東浩紀の主張だ。 では「論理的、存在論的脱構築」と「郵便的
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