福岡県立福岡高等学校在学中にアマチュアボクシングを始めインターハイ出場、明治大学経営学部在学中、全日本アマチュアボクシング選手権大会フライ級制覇、メルボルンオリンピックに日本代表選手として出場[1]。3回戦まで進んだ。 卒業後の1957年、米国シアトルで行われた世界ゴールデングローブに日本代表として出場。 1958年、日興ジム所属でプロ転向。6月27日のデビュー8回戦で木村七郎相手に4R負傷判定勝ち。日本ボクシングコミッション(JBC)初のA級(8回戦)デビューであった。 1959年1月4日、福本篤人を倒し当時の最短記録となるプロ5戦目で日本フライ級王座獲得(1980年にジェームス・キャラハンが4戦目で奪取して記録更新。その後、キャラハンの他、米倉の弟子友伸ナプニ、平仲明信、辰吉丈一郎、米倉の孫弟子井上尚弥が並ぶが、2022年に但馬ミツロが2戦目で奪取してさらに更新された)。同年8月、パス