以前ですね、シンデレラガールズのジュエリーズ2というCDへの カバーリクエストをみんなで発表するという生(リンクはブロマガ)したことがありました そろそろジュエリーズ2の発表もあるだろうし それに合わせてミリオンライブで勝手にカバー曲考えるのどうよ? という話で最初に盛り上がったのが2ヶ月ほど前 その後、発表の無いまま今に至ったわけで…… 「待ってられねえよ!」 ということでとうとう生放送を実施させていただきました あいうえお、大作さん、もじゃさんのいつもの三馬鹿とランプキンPを加えた四馬鹿で LTPの02と03で登場したシアター組アイドル8人 さすがに37人まとめては無理なので、小分けにして今後も放送していく予定です タイムシフトはこちらから(1枠目なので適当に漁って行ってくださいまし) それでは各アイドルのリクエスト一覧をご覧いただこうと思います 曲名/アーティスト(アニソン・ゲーソン
Maria trapは私も大好きな曲なんですが、最近になって色々と考えがまとまってきたので、とりあえず書いておこうと思って書くことにしました。とても長いです。 (後で見やすく分割したほうがいいかもしれない) 1.対称性と「同時に存在すること」 歌詞について1番から順に考えていく前に、まずは1番の途中にある以下の台詞部分について考えていきたいと思います。 太陽と月 光と影 虚栄と実像 欲望と理性 欺きと真実 この中でも一番わかりやすいのは、「太陽と月」「光と影」の2つでしょう。これらはどちらもわかりやすく対称的な2つのものについて述べています。以下のものも同様に「虚栄/実像」「欲望/理性」「欺き/真実」と、概ね対称的な2つのものと解釈できるものが並んでいます。 ここで重要なのは、それぞれのペアは対称的ではあるが、二律背反ではないということだと思います。つまり、「太陽と月」は月食や日食において
というわけで、前回のMaria trapに引き続き、本記事では鳥籠スクリプチュアについて考えたいと思います。 なお、鳥籠スクリプチュアの歌詞について考えていく前に、どのような視点から鳥籠スクリプチュアについて見ていくかについて、簡単にまとめてから歌詞について考えていきたいと思います。 また、本記事では朋花ちゃんのベースにあるのがキリスト教の考えであるという前提に基づいて考えていきます(そう考えることで様々な部分が個人的にしっくりくるからです。キリスト教については歌詞についての考察のところで度々触れます)。 (この記事も後で分割したほうがいいかもしれない) 1.「自由」の持つデメリットと「不自由」の持つメリット 鳥籠スクリプチュアにおいては、「自由」と「不自由」が一つの大事な要素であると思われます。 現代社会において人々は基本的に「自由」が保障されていると考えられています。「自由」という言葉
天空橋朋花ちゃんについてはMaria trapと鳥籠スクリプチュアに焦点を当てて、それぞれ考えをまとめてきましたが、本記事ではその後しばらく経ってからふと思ったことを二つほど述べたいと思います。 1.二人の「マリア」とMaria trap 鳥籠スクリプチュアに関する記事の方で、朋花とキリスト教の関係について述べていますが、本項ではキリスト教における「マリア」について、Maria trapに絡める形で考えたいと思います。 ところで、キリスト教における物語に出てくる「マリア」は二人おり、一人を「聖母マリア」、もう一人を「マグダラのマリア」といいます。 まず、「聖母マリア」はヤハウェ(キリスト)の母であり、ある日、天使ガブリエルによって「あなたは父なる神の子を宿した」と告げられ(受胎告知)、処女のままヤハウェを身ごもります。 次に、「マグダラのマリア」はヤハウェの弟子の一人であり、後の創作物では
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