はてなブックマーク - 私も泣いた。 - ちゃずけのきろく あまり対応することのない内容になってしまった気がするので、直リンはしません。思ったところを。個別の事情について鑑みることなく、前提についての問い直しすら企図することのないままに、時に通念的な前提をさも常識のごとく振り回し、あまつさえそれが感情論に基づいた現実の個人に対する私的裁定へと帰着するなら、それは最悪である。 私の母親が「母親」として問題がなかったかという問いを立てるなら、解は否でしょう。もっとも、程度問題こそあれ、リテラルに母親として問題なき母親というものを、私は寡聞にして知らない。「あるべき母親」と端的なる事実性としての「母親」は一致することない。 「あるべき母親」なるものが在るとして、それは暗黙に強制さるべきか。そして「あるべき母親」とは何を前提するか何をもって合意が為され示されるか。而してそれを強制するならその根拠は