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あとで読むとAnonymousDiaryに関するbutujoのブックマーク (2)

  • 「意識高い系」という言葉を嫌う人は何もわかってないというはなし

    http://www.suzutaro.net/entry/2016/09/18/174626 先に簡単に私のことを書いておく。 16歳でアメリカの学校に編入。38歳の今のほとんどを海外で過ごし紛争地帯以外のほとんどには渡航経験あり。 会社をいくつか経営している投資家。いわゆる意識が高い系だが子供の頃からその言動をアピールしたことはない。 この日記ブログでも書かれてるが意識高い系は「意識高い系」と呼ばれることに嫌悪感を抱いている。 「なんで世の中は俺たち(意識高い系)の考え方を批判するんだろう」と。 しかし、意識高い系は肝心なことに気づいていないが批判されない方法がひとつだけある。 その方法とは意識が高いということを、わざわざ「アピール」しないということに尽きる。 逆に言えば意識高い系は言動をいちいちアピールすることで、その度に批判を受けているわけだ。 何もなし得ていない自分と意識が高い言

    「意識高い系」という言葉を嫌う人は何もわかってないというはなし
  • 国語科教育論

    現職の高校国語教員 国語の授業というのは現在変わりつつあるらしい 今の20代以上の人なら、きっと、現代文の授業は、 形式段落を意味の上で大段落に分けて、第一段落…のように形式段落ごとにちまちまと読解した覚えがあるだろう 自分も未だにそのやり方を続けている これは、小学校の先生に言われれば、古式ゆかしい方法論らしい アクティブラーニングなんかが好きな人はたぶん生理的に受け付けないんだろう しかし、自分はこのやり方を変えるつもりは今のところない 現代文(特に評論)の読解には、大きく分けて2つの読み方がある 1つは、トップダウン式の読み方で、全体をざっと理解してから細部に及ぶという、いわば演繹的な読み方である もう1つは、ボトムアップ式の読み方で、細部を精読してそれを有機的に繋ぎ合わせるという、いわば帰納的な読み方である 多くの国語教員は後者のやり方を取ってきた、特に中学高校の教員は 今、それが

    国語科教育論
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