いつもの景色がいつもの景色に見えない。すべてが滲んでいる。こんなに曖昧な景色が存在してよいのか不安になる。けれども矯正されているのは普段の景色であって、今見えている景色が本当の景色であるはずだ。 だいたいは分かる。そしてだいたいは分からない。枕のようなものが道端に置いてある。それはねこだった。 すこし歩くうちに、許されたような気持ちになってきた。本当はこのくらい見えてなくてよい。無理をして見る必要はない。 人の機能として、近視という状態があるのかも知れない。周りが気になってしまう自分をかばうための機能として。 見える範囲はひとそれぞれ。 僕はこのくらいで充分だ。