路面電車の運転手・車掌として被爆した少女たちの記録 古里の広島県高田郡粟屋村(現三次市)の尋常小学校高等科を卒業して家政女学校に入学したのは、昭和18年の四月でした。 「全寮制で、女学校の勉強をしながら、戦争で出兵した男子たちに代わって電車に乗る仕事をする」ということは聞いておりましたが 三年学んで卒業したら女学校の卒業証書を頂いて粟屋に帰り、将来は和裁やお花の先生になるのが私の夢でした。 一緒に入学した一期生は72名で、勉強と乗務を候補に行うために一組、二組に組が分けられ、私は二組に編入されました。 二組には島根県出身の方が多かったようで、職場も市内バスに配属された方が多かったようでした。 そして、私たちが電車に配属されたときには、もう女性の乗務員がおられました。 入学した当時の学校の勉強は、講師に招かれた立派な先生方の授業は難しくてよくわかりませんでした。 それよりも、早く停留所名を覚