青信号特派員氏とともに研究している京都駅の位置については先日報告のあった通り京都府立総合資料館へ行って明治初年の地図と大正年間の地図を拝見しながら現在の地図と比べました。 明治22年京都駅周辺 その結果、旧線はいまの塩小路通より家一軒分南側を東西に通っていたことが分かりました。 上の地図は明治22年の京都駅周辺です。鉄道記号はまだ白黒になっていませんが中央を横切っています。交差するように縦に流れているのは左が堀川で、見にくいですが西本願寺の南と九条で直角に折れ曲がっています。右に流れているのが西洞院川です。当時は西洞院に川が流れていて、北野線が西に偏って走っていたのもこのせいだと言われています。 次に明治17年の京都駅西方向の地図を掲載します。 この当時は市内と市外に別れて地図が作られていました。市外(郡部)の地図は比較的広域表示ですが市内は町別単位で重なるようには編集されていません。しか
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