※本記事は、童門冬二著『勝海舟の人生訓』より一部を抜粋編集したものです。 行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず この言葉は、勝海舟の全思想を表わしている。彼はこういう態度で自分の生涯を生き抜いた。この言葉を口にしたのは、具体的にはつぎのような事件があったからだ。 彼は徳川幕府の終戦最高責任者でありながら、その後明治新政府に参加した。しかも、それも平職員としてでなく、海軍大臣や枢密顧問官にもなった。こういう勝の生き方を見ていて、学問一途に走った福沢諭吉は、『やせ我慢の説』という本を書いた。その本で、 「二君に仕えた幕臣」 の典型として、勝海舟と榎本武揚とをとりあげた。そして、この『やせ我慢の説』を二人に贈った。贈っただけでなく、 「ご感想をおもらしいただきたい」 と添え書した。榎本は、福沢のこの申し出に実に懇切丁寧な答え方をした。しかし、こういう答えは長ければ長いほどどこか言いわけじ
![行ないは自分が、批評は他人がする―勝海舟の人生訓](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2bf1ef48a60dda1bfc5db1791d08c707a4342edb/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Frekishikaido.php.co.jp%2Fuserfiles%2Fimages%2Fb%2Frk201701%2Fkatsukaishu.jpg)