chappo2580のブックマーク (46)

  • 1121夜:法論に負けない秘伝を公開しよう - 日蓮正宗のススメ

    ソクラテスは今も最強です 私は法論*1や対論*2で負けたことがありません。 その必殺技を公開してみたいと思います。 口論がヒートアップして、怒りの感情が入ってくると、結局手に負えなくなって、両者ともイライラして不満を抱えたまま終わることが多いです。しかし、口論になった時にソクラテス式問答法を使うと、無用な衝突を引き起こすことなく、相手にも自分の視点で物事を考えてもらえるようになります。 ソクラテス式問答法は、口論の元となっている問題点を指摘するのではなく、質問をすることで、感情ではなく現実の状況に焦点を当てます。これにより、両者ともに考えられるようになります。 目次 1 ソクラテスって誰? 2 ソクラテスの問答法とは? 3 無知の知で論破するには? 1 ソクラテスって誰? ソクラテスは「哲学の祖」といわれるぐらいものすごい哲学者です。 哲学の祖と呼ばれているのですが、実際のところはソクラテ

    1121夜:法論に負けない秘伝を公開しよう - 日蓮正宗のススメ
  • 1225夜:シニフィエの「対話を求めてー静かに創価学会を去るために」ブログが、静かに閉鎖されていた件 - 日蓮正宗のススメ

    過去には、1000万アクセスに歓喜していたこともありましたね。 当ブログでも記事にしました。 nichirendaihonin.hatenablog.com昨日、創価ダメ出しさんのブログを読んで、「対話ブログ」の閉鎖を知りました。 巨大宗教団体から法的脅迫を受けたのか? 愚痴ブログにありがちな、煮詰まりを迎えたのか? はたまた頭破作七分の現証で、持病のうつ病が再発したのか? 真相は知りません。 というか、全くロム*1ってすらなかった(笑)。 ごめんね。興味なかったわ。 事情を知った創価ダメ出しさんの記事はコチラ↓ sokadamedasiblog.hatenadiary.com シニフィエ同様の、何の確信もなくフラフラ彷徨っているだけの糞ブログ、「気楽に語ろう創価学会非活のブログ」が、浅識謗法していたのを、ダメ出しさんがサクッと破折していました。 watabeshinjun.hatenab

    1225夜:シニフィエの「対話を求めてー静かに創価学会を去るために」ブログが、静かに閉鎖されていた件 - 日蓮正宗のススメ
  • 快馬は鞭影を見て正路に著く - 日蓮正宗のススメ

    『日曜講話』第三号(昭和63年7月1日発行) 快馬は鞭影を見て正路に著く 皆さん、お早うございます。皆様方も御存知だと思いますが、仏様の別称・尊称に十の呼名がございます。一つには「仏」という字を書きまして「ぶつ」ないし「ほとけ」と申します。あるいは世間の人から尊ばれるという意味で「世尊」と書いて仏という意味もございます。又あるいは天上、人界の師という意味で、「天人師」という言葉もございます。その十号の中に「調御丈夫」という尊称がございまして、これはどういうことかと申しますと、馬の鞍の上に跨がった馭者が良く鞭の加減を整えて、じゃじゃ馬や、荒馬や色々な馬がおりますが、その馬を正しく調教して真直ぐに動き出す、走り出す。その様に良く馬を調御するという意味で「調御丈夫」と言う。それは何を譬えているかと申しますと、人間、色々な心の曲がった人や、ねじけた人や、悪人や、あるいは根性の正しくない邪人がござい

    快馬は鞭影を見て正路に著く - 日蓮正宗のススメ
  • 本尊泥棒の大外道それが創価学会。 - 創価ダメだしブログ

    私は創価掛軸尊をあまり「ニセ尊」と表現しない。もちろん創価掛軸尊は「ニセ尊」ではあるが創価民にそれを教えても教学力に乏しい彼等にはなかなか理解できない。だから教学力のない彼等にもわかるように創価尊は「ニセ」とか「物」とか言う以前に日蓮正宗から盗み取った尊であることを教えている。創価民の中には現在の創価尊が配布された経緯を知らない人もいるだろうから簡単に説明すると、正宗から破門された池田創価は正宗からの尊下付をしてもらえなくなった。(これにイチャモン付ける創価民がいるが破門されたのだから御尊を貰えないのは当然の事である)そこで当時正宗を離脱した成田宣道が住職を務める浄圓寺が所蔵していた證坊日證師に日寛上人から与えられた常住尊を離脱僧等達の「なんちゃら同盟」が創価に授与をすること決定して配布されたのが現在創価民の自宅に置いてある創価尊である。これだけ書けばわかると思う

    本尊泥棒の大外道それが創価学会。 - 創価ダメだしブログ
  • 五老僧超略伝②大国阿闍梨日郎 - 創価ダメだしブログ

    大聖人の2番目の弟子の大国阿闍梨日郎(筑後房)は寛元3年(1245)4月生まれで日興上人より1歳年長です。父は能手郷平賀二郎有国、母は印東氏の出で有国死後に平賀忠晴と再婚し日像・日輪の2子をもうけました。建長6年、日郎16歳の時に松葉谷の大聖人の許を訪れて弟子入りしています。日郎の史実として有名なのは『土籠御書』に書かれているように竜の口の法難の際に入牢させられた一件です。後年他門流では日興上人を差し置いて「日郎が給仕第一である」と伝えられているように日郎伝説は色々あって、例えば大聖人に伊豆流罪の時に同行したかったが願いが叶わず大聖人を乗せた船が見えなくなった時に悶絶した。とか竜の口の法難の際に役人によって右肘を打たれ生涯右手が不自由だった。とか佐渡に幕府からの赦免状を持って行ったなど伝えられていますがどれも信憑性が低く後世の人間による作り話であることが濃厚です。特に佐渡における日郎伝説は

    五老僧超略伝②大国阿闍梨日郎 - 創価ダメだしブログ
  • 信心の信とは - 日蓮正宗のススメ

    信心の信とは 2005-11-21 | 手引書① 宗祖日蓮大聖人は『日女御前御返事』に、 「仏法の根は信を以て源とす」(御書1388) と仰せであります。仏法を学び行じ信心していくときは、疑うことなく信じることが大切です。人は生きていく上で無意識のうちに信じて生きています。特に正しい仏法は信じることが必要です。間違った悪道へ行く教えは、信じることなく疑いを持ち、悪を止めることです。 仏法における「信」の意味は、信じることはいうまでもありません。「信」とは、「人」という字と「言」から出来ています。特に日蓮大聖人の仏法では、「人」においてはお互いを支え合う意味と、日蓮大聖人の仏法を信じる異体同心という意味があり、「言」においては自行化他の勤行唱題と折伏の時に出す声・言葉です。それが「信」の意味です。 その意味を理解した上で、信心をすることが大事です。一人信心や言葉に出さない観念的な信心は、

    信心の信とは - 日蓮正宗のススメ
  • 折伏が閉ざした人心の目を開く - 日蓮正宗のススメ

    目ヂカラぜよ! 日蓮大聖人は御書の中に『開目抄』を残されております。『開目抄』は、末法の迷える私達の、閉ざし盲目となった、心の目を開くために書き残されたのです。『開目抄』の「開」の字には、二意あり、一には障りとなるものを除く(所除)の義、二にはものを見る(所見)の義があります。 盲目とは、四種類あり、外典の人、爾前の人、迹門の人、脱益の人であります。 『開目抄』では、現代の人々が忘れかけている、主人や師匠と親に対する感謝の気持ちを強く訴えられています。この主師親の三徳を人々が忘れるために、世の中に不安定な状況を招き寄せることを仰せになられています。 主人や師匠と親のことを考えず、己自身のことしか考えない自己中心的な人々が現在氾濫しております。自己主張はある程度必要ですが、必要最低限度があります。この必要最低限度を心得なければ、人間関係に亀裂が生じ世間から孤立するのです。つまり主人や師匠と親

    折伏が閉ざした人心の目を開く - 日蓮正宗のススメ
  • 【法華経より外の一切衆生は、何に高貴の人なりとも餓鬼道の衆生なり】餓鬼・畜生道からの救済 - 日蓮正宗のススメ

    《四悉檀ししつだん》 真実の仏様は、御生涯を通じて人々を導いていく方法として、四悉檀を用いられます。 四悉檀とは、四つの弘教方法を示したもので、世界悉檀せかいしつだん・為人悉檀いにんしつだん・対治悉檀たいじしつだん・第一義悉檀だいいちぎしつだんをいいます。悉檀とは遍く衆生に施すことで、日蓮正宗では折伏を意味します。 「世界悉檀」・・・時代性、あるいはその国土、社会のあり様の中から様々な教導の手だてを用いて、諄々じゅんじゅんと衆生を教化する。 「為人悉檀」・・・救済されるべき衆生の一人ひとりの機根に合わせ、その人の生活に合わせ、その人の立場に応じて、諄々じゅんじゅんと法を説き教導する。 「対治悉檀」・・・衆生が誤った宗教や様々な過去の因縁のうえから、信仰の教義上の間違いや、悪縁に侵されて悪法に染まっている人びとに対し、それらに対処して、誤りを糾ただす手段を用いられます。 「第一義悉檀」・・・

    【法華経より外の一切衆生は、何に高貴の人なりとも餓鬼道の衆生なり】餓鬼・畜生道からの救済 - 日蓮正宗のススメ
  • 【仏法と申すは道理なり】仏の功徳と神の恵み - 日蓮正宗のススメ

    聖書って上から目線ですよね? 【仏教と一神教】 現在世界に広まっている宗教は、実に多数にのぼりますが、大別すると仏教と一神教の二つに分けることができます。 宇宙以外のどこかに存在する人格的唯一の神があって、その神によって宇宙の全てが創造されたというこの見解をもつのがこの一神教であり、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の3つがその典型とされています。 話が乱れるので今回はキリスト教に絞ってお話します。キリスト教では、神と人とを二元的に見て、神は神、人は人と、そこには大きな隔たりがあり、根源を二つにして区別しています。 ですから、どんなに進行を重ねても、人はどこまでも人であり、たとえ彼らが説く天国へ行けたとしても、決して神になることはできません。 神と人、そこに絶対的な「差別」を設けて対立的に見るのが、キリスト教(一神教)であり、仏教では、仏も人も、その源は「平等」であると説きます。 また、信

    【仏法と申すは道理なり】仏の功徳と神の恵み - 日蓮正宗のススメ
  • 54.三法妙(仏法妙・心法妙・衆生法妙) - 日蓮正宗のススメ

    題目の妙の字の意義に、大きく三つの拝し方がある。すなわち、仏法妙・心法妙・衆生法妙である。既に妙法を証得し、法界に自在を得て広く衆生を導かれるのが仏法の妙であり、一切衆生の心法に宛然と妙法が具わるのが心法の妙であり、一切衆生は十界互具するので、衆生のすべてが妙法であるのが衆生法の妙である。故に、妙の義は法界に遍満しており、これをよく把握した聖者が、その時に応じ、機に応じてこの三義を自由自在に、衆生に説き明かされるのである。特に、仏法妙の根である因妙の教主日蓮大聖人が、一切衆生を導くため、人法一体、十界互具の御尊を顕されたのが化導の中心である。 下種仏大聖人が大慈大悲をもって顕された大漫茶羅御尊に仏法妙、心法妙、衆生法妙がことごとく具足されている。すなわち、法界の一切の事理が含まれているのである。この御尊を信じて題目を唱えよという指南が下種仏法の化導であるから我らは、我らに具わる

    54.三法妙(仏法妙・心法妙・衆生法妙) - 日蓮正宗のススメ
  • 1190夜:「創価ダメだしブログ」さんに学ぶ、教学の大切さと会通の仕方 - 日蓮正宗のススメ

    創価や顕正というのはまさにこれ 「創価ダメだしブログ」さんは、私がしょっちゅう勉強させていただいているブログです。今回も非常に勉強になりましたので、ご紹介させていただきます。 戒壇大御尊を捨て三大秘法開合の法門を否定する創価民にありがちなロジックとして、「謗法の地にである大石寺の大御尊は信仰の対象にならないから大御尊には三大秘法が揃っていない。」というような莫迦理論がある。大御尊は門の尊だが、門の題目と戒壇がないので三大秘法にならないといいたいわけである。言い方を変えれば大御尊には法力と仏力はあるがそれに信力と行力が加わらないと三大秘法にならないという理屈である。信力とは門の戒壇で行力とは門の題目という解釈なのだろう。その解釈自体は間違っていないが彼等の四力論はあくまでも衆生の修行に約した理論であり衆生に主眼を置いた一方通行の片手落ちの浅識である。修行ではなく法体に約し

    1190夜:「創価ダメだしブログ」さんに学ぶ、教学の大切さと会通の仕方 - 日蓮正宗のススメ
  • 輪円具足・功徳聚の御本尊 - 日蓮正宗のススメ

    『日曜講話』第三号(昭和63年7月1日発行) 輪円具足・功徳聚の御尊 皆さん、お早うございます。天台大師という方は『摩訶止観』という大変ぼう大なお書物を残しておられますが、その一巻の中にこういう有名な言葉を残しております。それはどういうことかと申しますと、 「円の法を聞き、円の信を起こし、円の行を立て、円 の位に住し、円の功徳を以て、而して自ら荘厳し、円 の力用を以て衆生を建立す」(大正蔵四十六−二・A) という言葉を残しているのであります。この円の法、円の位とか、円の行、この円というのは一円二円の円という字を書きます。円(まどか)という字を書きますが、これは具足円満ということでありまして、その仏の意、仏の仏智、仏の智慧、仏の意、仏の誓願、仏の悟りというものが、きちっと整足、具足円満した教えということが円、円満の法、円の法ということであります。 もっと言葉を変えて申上げるならば、大聖

    輪円具足・功徳聚の御本尊 - 日蓮正宗のススメ
  • 1188夜:因果の理法に思いを馳せる~法華講員仲間の苦悩について~ - 日蓮正宗のススメ

    苦悩を救えるのは、自分の信仰姿勢のみ 因果の理法という言葉を聞いたことはありますか? 平成17年12月1日発行 高照山 第216号 引用元:高照山 「因果の理法について」 高 橋 成 永 皆様お早うございます。ただ今、御住職様より命を受け、少々話をさせていただく次第でございます。 世間におきまして、「となりの芝は青く見える」との言葉がありますが、皆様方も「なぜ自分ばかりが外れ籤を引いてしまうのか」と、周りの人と見比べて、そのように感じたことが一度はおありになったかと思います。 仏法においては、因果の理法ということが説かれております。つまり、どんな物事にも原因と結果が存在するということであります。世間にも「善因善果」「悪因悪果」というような言葉もありますように、良いことをすれば必ず良い結果が得られ、また悪いことをしてしまえば、それに見合った悪い結果を生んでしまうということであります。 大聖人

    1188夜:因果の理法に思いを馳せる~法華講員仲間の苦悩について~ - 日蓮正宗のススメ
  • お数珠について - 日蓮正宗のススメ

    『日曜講話』第九号(平成元年7月1日発行) お数珠について 山 道 山 代 講 皆さん、お早うございます。日は、御住職が総山の御会式に御出仕のため、お留守ですので、私が代わりに、お話を少々させていただきます。 末寺においては、御会式は十月の下旬に奉修されておりますけれども、総山においては、毎年十一月二十一日に奉修されております。これは何故かと申しますと、大聖人様御入滅の弘安五年の太陰暦の十月十三日は、現在使われております太陽暦に換算しますと、十一月二十一日に当たるわけであります。総山においては、太陰暦に合わせた十一月二十一日に毎年奉修されておるということであります。ですから考えまするに、大聖人様御入滅の時は、季節も日々に大分、厳しさも増し、寒さが身にしみる頃であったと拝せられるわけであります。 日は、このお話とは全く関係ありませんけれども、お数珠のことについて、少々お話をさせ

    お数珠について - 日蓮正宗のススメ
  • 昭和の名法話を皆様の教学研鑽のためにご紹介いたします。妙光寺第八代住職 尾林広徳(日至)御尊能化 「日曜講話」目次 - 日蓮正宗のススメ

    昭和の時代に日蓮正宗のお寺(妙光寺様)で毎週日曜日に行われていた、妙光寺第八代住職 尾林広徳(日至)御尊能化の日曜講話をご紹介いたします。 この法話は日蓮正宗創価学会が破門される以前のものです。当時の参詣者の多くは、創価学会員さんでした。池田大作や創価学会幹部のくだらない、仏法とは関係ない話に飽き飽きしていた方々も、日蓮正宗の御僧侶の謦咳に接するとき、命の奥底から湧き上がるような、妙法の法悦を感じられたことでしょう。 皆様も、現在読んでもなんら変わることのない、日蓮正宗の御法門の普遍的な姿を実感していただけることだと思います。 創価学会も顕正会も正信会も、異流儀諸団体や他門日蓮宗各派などは、朝令暮改の教義改変から、根尊敬たる尊義までも転々と変節しております。 また、教学の研鑽と言えば、教学試験〇級といったハッタリの肩書や、偏頗な知識の丸暗記と思うのが、創価・顕正の人々の常でしょうが、含

    昭和の名法話を皆様の教学研鑽のためにご紹介いたします。妙光寺第八代住職 尾林広徳(日至)御尊能化 「日曜講話」目次 - 日蓮正宗のススメ
  • 末法の御本仏たる所以 - 日蓮正宗のススメ

    『日曜講話』第一〇号(平成元年9月1日発行) 末法の御仏たる所以 皆さん、お早うございます。先週の日曜日は、大聖人様の建立遊ばされました御尊様を、なにゆえに「一閻浮提第一の御尊」と拝称し申し上げるかということを申し上げました。今日は御尊様を顕された大聖人様御自身を、私達は末法の御仏と拝し、末法万年を救済遊ばされる教主として、私達は仰ぎ奉るのでございます。その大聖人様こそ、末法の仏として拝称する所以は、どこにあるのかということを、三つに絞ってお話を申し上げたいと思うのであります。 一つは、皆様方すでに御承知のように、大聖人様御自身が、自らの御事を『別当御房御返事』等々に、 「日蓮は一閻浮提第一の法華経の行者なり」(全二八四、九〇二) ということを大聖人様御自身で宣言遊ばされていらっしゃいます。 「一閻提第一の法華経の行者」とは何をもってそのように申し上げるのか、また、叫ばれたのか

    末法の御本仏たる所以 - 日蓮正宗のススメ
  • 1136夜:付け願い再び、今日のお供え物 - 日蓮正宗のススメ

    nichirendaihonin.hatenablog.com ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へ(得)て仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと委細にかんがへて候へば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、ただ一つき(著)て候衣を法華経にまいらせ候が身のかわをわ(は)ぐにて候ぞ。うへたるよに・これはなしては・けう(今日)の命をつぐべき物もなきに、ただひとつ候ごれう(御料)を仏にまいらせ候が身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。[白米一俵御書] [白米一俵御書ご真筆:富士大石寺所蔵] 過去記事で確認しましたら、前回の付け願いから早いもので1年になるのですね。 コロナウイルス感染症対策による、緊急事態宣言は解除になりましたが、まだまだ油断はできません。家族全員で付け願いの御供養をお願いいたしました。 私自身もファイザー製ワクチンを、9/1に第二回目接種完了しておりま

    1136夜:付け願い再び、今日のお供え物 - 日蓮正宗のススメ
  • JIKATSU(創価自主活動支援サイト)に集まる学会員さん。 - 創価ダメだしブログ

    『JIKATSU(自活)』サイトなるものがあるのは知ってますか?創価を除名された波田地氏とグループの番頭格の金原氏が立ち上げたサイトだそうですが波田地氏と金原氏は喧嘩別れでもしたのでしょうか現在は波田地氏は関与していないようで同サイトには「宿坊の掲示板」はリンクされていますが「波田地チャンネル」はリンクされていません。まぁあのおじさんのあまり内容のない動画をリンクするのは逆にマイナスだと思ったのかも知れません。波田地チャンネルは更新もされていませんしね。さて『JIKATSU(自活)』とはなんぞや?と思ってのぞいて見ると創価活動である選挙、新聞、財務などをやめて組織の打ち出した活動ではなく御書と(池田)先生のスピーチを学び祈り心を耕す自主的な活動のことを言うそうです。まぁ普通の信心とはそういうものなんですけどね。『自活』という言葉を使うこと自体がいかに創価が組織信仰であるか物語っています。趣

    JIKATSU(創価自主活動支援サイト)に集まる学会員さん。 - 創価ダメだしブログ
  • 1106夜:チュウケイデバンバン - 日蓮正宗のススメ

    オリンピックの中継じゃなく中啓です。 ちゅう‐けい【中啓】 先端が末広より狭く、親骨に彫りを加えないことを特色とするもの。 親骨の上端を外側にそらせてあり、たたんでもなお頭部が半びらき(中啓)になっているところからの名称。 主として僧侶や宿老が用いた。 先日来、法華講員同士のミニクイアラソイが、Twitter上で繰り広げられていますが、ようやく返信先から除外してもらえたようでホッとしております。 《我々のようなちっぽけな人間は、暴風雨を最も遠くから避けなければならない。すなわち忍耐力にたよるのでなく、こわいという感情の方に従わなければならない。打ちこんで来る剣をうち払うことができないなら、それをかわさなければならないのだ》(第3巻第10章「自分の意志を節約すること」)モンテーニュ「エセー」 宗教にしろ、個人的な信念や思い込みにしろ、理念は人を狂わせ暴挙を可能にする。 そういったとき、どのよ

    1106夜:チュウケイデバンバン - 日蓮正宗のススメ
  • 1185夜:大聖人様がお生まれになった時、「苦我」と泣かれたのはなぜか? - 日蓮正宗のススメ

    引用元 nishidaisenji.jp 地自受用報身如来の垂迹上行菩薩の御身を凡夫地に謙下したまふ。御誕生は唯今なり、無熱池の主阿那婆達多竜王・八功徳水を持ち来たるべし、当に産湯に浴し奉るべしと諸天に告げたまへり。仍って竜神王即時に青蓮華を一荷ひ来たれり。其の蓮より清水を出だして御身に浴し進らせ侍りけり。其の余れる水を四天下に灑ぐに、其の潤ひを受くる人畜・草木・国土世間悉く金色の光明を放ち、四方の草木華発き菓成る。男女座を並べて有れども煩悩無し。淤泥の中より出づれども塵泥に染まざること、譬へば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し。人・天・竜・畜共に白き蓮を各手に捧げて、日に向かって「今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是吾子、唯我一人、能為救護」と唱へ奉ると見て驚けば、則ち聖人出生したまへり。「毎自作是念、以何令衆生、得入無上道、速成就仏身」と苦我啼き玉ふ。(産湯相承事1709㌻) 日蓮

    1185夜:大聖人様がお生まれになった時、「苦我」と泣かれたのはなぜか? - 日蓮正宗のススメ